第289話 君は私の光だ
文字数 2,467文字
そう言って開けられのは来客区画でも一番奥の広い部屋だった。
それは高級ホテルのような一室。ベッドにテレビからクローゼットに、冷蔵庫と簡単に調理できるキッチンまでついている。そして――
「……」
壁には演舞で使う仮面と青竜刀と衣装がかけられていた。精巧に似せて作られた一品であるが、真新しさから自分の物ではないと眼を背ける。
「冷蔵庫の中身は全て野菜だ。鮮度は保証する。ドレッシングも入っているので好きに使うと良い」
何もかもショウコに合わせた様な空間。しかし、その中には彼女が積み上げたモノは何一つもない。
「……全てを理解していると言った感じだな」
「君の事は慎重に扱うべきだと理解している。準備が終わり次第、船は『ラクシャス』へと行く」
「……これで納得しろと言うのか? この部屋で何事もなく過ごせと?」
「そこに疑念があるのなら、何故ここまで大人しくついて来た?」
女郎花はショウコへ視線を送る。
「父と母を護る為だ」
「君は望んでここにきた。二人の事は私の事を否定する口実に過ぎない」
「違う! 私は――」
ショウコは否定する様に女郎花へ視線を合わせる。その視線は17年前の時と全く変わらないモノだった。
「あの時もそうだ。君は自ら私と共に来た。無垢な少女故に当時は理解が及ばなかったのだろう。しかし……今は違う」
ショウコは赤紐を強く握る。
「ここに留まるのは君の意思だ。それを認めたく無くて、私を否定するのだろう?」
「そんな事は――」
「人は己の事だけは解らぬもの。客観的に外から見られなければ自分が何をしているのかさえ解らない時がある」
そう言うと女郎花は背を向け、扉へ手を掛ける。
「君の世話はカーシャに任せよう。至らぬ事があれば彼女へ相談すると良い」
ショウコは咄嗟に壁の青竜刀を手に取り切っ先を女郎花へ向ける。
「私がここに来たのは……お前と決着をつける為だ!」
女郎花は特に慌てる様子もなくショウコの敵意を正面から受け止める。
「確かに、ここで私を殺せば君の中の悪夢は消え去るだろう。だが、君には無理だ」
青竜刀を持つ手が震えている。彼女が、なんとか言葉を絞り出した様が容易く見てとれた。
女郎花はショウコへ近づく。その恐れの無い圧にショウコは思わず後ろに引いた。
「君はわかっている。これは必然で変えられない未来だったのだと」
「……私に……出来ないと思うか?」
「ああ。無理だ。もし、出来るのなら17年前に君はやっている」
青竜刀の刃を女郎花は握る。僅かに斬れ、血が滴る様を見てショウコは咄嗟に手を離した。
「やはり、君は特別だ。今の行動でさえ一切の陰りがない。私の見立ては間違っていなかった」
女郎花は青竜刀の刃の位置を持ち変える。
「君は私の光だ」
そう言う彼の背中をショウコは力無く座り込み、見送るしかなかった。
ジェットとカーシャはブリッジで積み荷作業の指揮を執っていると、戻った女郎花に挨拶をする。
「お、ども。社長」
「社長、積み荷の搬入は滞りなく進んでおります。ゲイルも戻りました。後1時間程で準備が――」
するとカーシャは女郎花が青竜刀を持ち、手から血が流れてる様を見て、眼を見開く。
「社長!? どうなされたのですか!?」
「気にするな」
そう言って、ジェットは青竜刀を受け取りつつ、女郎花が血を流した所を初めて見た。
他国からの殺し屋から波状に襲撃を受けても血を一滴も流さずに素手で不殺にて制圧する社長が怪我を負うのは少し考えられない。
「手強いっすか? 噂のレディは」
「ジェット! 口を慎みなさい! 誰か! 医療セットを!」
カーシャの指示にブリッジの船員が救急箱を持ってくる。
ジェットは、この人もやっぱり男だな、とショウコと揉めた様を察した。
「ジェット。あまり、彼女をその様な眼で見るな」
「……すみません」
淡々としながらも深い怒りが混ざった言葉にジェットは萎縮する。
「……社長。この傷は流雲様が――」
「カーシャ。お前は旅程中は彼女に就きなさい」
「! 社長! お言葉ですが……」
「不満があるのか?」
今までの女郎花の行動は全て『ラクシャス』の為だった。しかし、ここ数日はあまりにも私情が含む動きが目立つ。
それが悪いとは言わないが、何かしらの見落としが発生し、そこへ『ラクシャス』を狙う勢力につけ入る“隙”を生むかもしれない。
その“隙”とは女郎花の殺害であった。
その懸念を埋める為に女郎花へ届く範囲には護衛がついている。
「……社長の護衛は――」
「ジェットが居る。ゲイルも戻ったのなら三人も必要ない」
「……解りました」
船員が持ってきた医療セットを女郎花は受け取る。
「治療を――」
「自分でやる。君はすぐに彼女へ就く様に。ジェット、青竜刀は倉庫へ仕舞っておきなさい」
「了解です」
ジェットは青竜刀を肩に担ぐようにくるっと回しつつ、ブリッジを出ていく女郎花の背を見送った。
「……」
「互いにきちんと仕事しようぜ」
「……ええ。解っています」
カーシャもそう言ってブリッジを出て、ショウコの元へ向かった。
「女ってのはつくづく怖い生き物だねぇ」
カーシャの女郎花に対する敬愛をジェットは理解できるだけに、噛み合わないのは仕方ないと思っていた。
「ひと波乱ありそうだな」
港の入り口に、ブロローと中型の荷物トラックが止まった。
運転席には眼鏡をかけた小太りの男。門番が近づくと、ウィーン、と窓を降ろす。
「『ラクシャス』への荷物だ。こっちに回す様に言われた」
「『ラクシャス』への荷物は全て搬入が済んでいる」
「追加だよ。もう一度確認してくれ。船が出ちまう」
門番は事務所に無線で確認。事務所はデータを確認すると、項目のひとつに、いつの間にか追加のデータが入っていた。
見落としたっけか? と首を傾げるも確かにあるので進入を許可する。
トラックはブロローと港の中へ。
「ナツ、問題なく抜けた、ぞ!」
運転手は助手席に置いた無線を取ると荷台と連絡を取る。
『『ファミリー』の倉庫へ行くのじゃ! クロトには話を通しておる!』
「了解、だ!」