第273話 報酬の前払い
文字数 2,279文字
それはそうと、少し会社の事情で、上司の家族の人をオレの部屋に住まわせる事になったんだけど、きちんと説明したいから連絡をください”
オレは、そうLINEを打つと躊躇いながらも送信ボタンを押す。
ヒュポッ。と、オレとリンカのLINEに先程のメッセージが乗せられた。
ここからが正念場だ。ショウコさんにも説明してもらう必要もあるだろう。
「……………………あれ?」
既読がつかない。すると、セナさんとのLINEにメッセージ。
“宿泊研修だとスマホは禁止だから~。リンちゃんのスマホは家に置いてあるわよ~”
「……」
セナさん、なんて策士なんだっ! あえて、リンカのスマホが家にあることは言わず! オレが本当にLINEするのか確かめたと言うのかっ! 恐ろしい人だぜ……
「誰かから連絡か?」
「あ、いや! 強キャラのランキングが緩みないモノになっただけだよ! ハハハ」
ショウコさんは眼が冴えた様で風呂に入った。湯上がりの彼女は少し火照った事もあって頬は赤く雰囲気は柔らかく感じる。
「髪の毛乾かすの手伝おうか?」
「ああ。頼む」
そう言って座るショウコさんの色素の薄い長髪をドライヤーで満遍なく乾かす。
あんまりやった事はないが、不備があれば遠慮なく指摘する様に一言添えた。
「こうして、他の人にやって貰うのは久しぶりだ」
「一人暮らしだっけ?」
「日本に来てからはずっとだ。前から一人でやることはあったが、母にもやって貰っていた」
「仲が良さそうで何より」
今回は父親でもある名倉課長にも頼った形だし、離婚しているとはいえ、ショウコさんからの両親への印象は良い様だ。
「しかし、男の人にやって貰うのは君が初めてだ」
「それは……責任重大だね……」
「髪を乾かすだけだ。何も緊張する事はない」
風呂上がりで気分が良いのか、今のショウコさんの言葉には嬉しみを感じた。
「……父との関係は聞かないのか?」
「気にはなるけど。ショウコさんの事情だし、言いたくない事もあると思って」
「だが、こちらの都合で君の生活に踏み込んだんだ。聞かれても拒否はできないと思うが?」
「それでも、だよ」
オレの迷いない返答にショウコさんは、そうか、と言ってヘアー乾燥サービスを受け続ける。
「こんなもの?」
それなりに乾かしたと判断したオレはショウコさんに聞く。
「悪くないよ。ありがとう」
それは自然に出たのだろう。始めて向けられる彼女の笑みを、オレは見ることが出来て一安心。
「またのご来店を」
「君はいちいち愉快だな」
余計な一言で淡白な表情に戻ってしまい、外したか、とオレは苦笑いしながらドライヤーを片付ける。
「ふぁ……」
欠伸が眠気を誘う。結構良い時間だ。オレはもう寝よう。
「オレは寝るよ。ショウコさんは眠れないならテレビとか見てもいいからね。アイマスク着けて耳栓するから」
「その状態は起きる際の目覚めしにはどう反応するんだ?」
「安物の中途半端なヤツ使うから」
完全遮断とは行かないが、程よく遮音してくれるので良い塩梅だったりする。夜中にトイレで起きれば外せば良いし。
「なら私も寝よう」
そう言ってショウコさんは既に敷いてある布団へと寝そべる。薄着の寝間着に包まれた魅力的なボディラインは性欲を誘う。
オレの賢者はまだ健在だ。椅子に座って本を読みながらコーヒーブレイクしている。
「何をしている?」
オレも寝る布団を準備する為にタンスへ向かうと寝そべるショウコさんがこちらを見ていた。
「いや、布団を敷くんだけど……」
「もう敷いてあるだろう?」
「どこに?」
「ここに」
ショウコさんが自分の身体を預けている布団をぽんぽんと叩く。
「いや……自分の敷きます」
「敬語」
「自分の敷くよ」
「私は構わないけどな」
と、仰向けになるショウコさん。乱れる髪と凸する二つの山と少し眠そうな垂れ目がこちらを見る。
オレの中の賢者はガシャンッ! とコーヒーカップを落とし、背後に現れた魔物に杖を向ける。
「い、いや……明日も仕事なんで……」
反射的にそんな言葉が出た。
「ふむ……君は童貞か?」
「そ、その質問は! プライバシーに深く関わりますので!」
焦るオレ。その反応が答えのようなモノになのだが、ショウコさんは特に気にする様子もなく、
「私は処女だ」
……なんでここでカミングアウトしたんだろう。あれか? 君も私も始めてだからコワクナイヨー、ってヤツ……
「ごめん! 色々と話を進める前に聞きたいんだけど!」
「何だ?」
「これは……おしべとめしべが、うんぬん的なヤツ?」
「遠回し過ぎたかな?」
ショウコさんはオレを見上げる視線に疲れたのか、上半身を起こしてこちらを見る。
「前払いをしようと思ってな」
「前払い……って?」
「今回の件で君には迷惑をかける事は確実だ。しかし、君には割に合わない事も多々発生するだろう? その時になって降りられても困る」
すると、彼女は赤い紐の髪止めを取ると、それは失くさない様に手首に結んだ。
ふわっと揺れる白髪とその仕草に何も感じない男はいないだろう。
そして、立ち上がるとオレに近づいてくる。
「だから――」
オレは後ずさる。しかしすぐに壁に当たる。ショウコさんは更に詰める。オレは座り込む様に下へ逃げるが、それはもう逃げではなかった。
「君と確固たる契約をしておきたい」
見下ろす彼女も身を屈める様に顔を近づけてくる。