第168話 アニマルフレンド
文字数 3,252文字
「くそー。まさか姉貴が来るとは……」
頭にたんこぶを作ったノリトは石段の隅に生える草をむしりながら、悪態をつく。
「くそ……ちょっとでも差を埋められると思ったのによぉ……」
天才児として、あらゆる物事をあっさりこなしてきたノリトが初めて敗北を味わったのは大宮司亮であった。
全く手も足も出ず、一方的にボコボコにされた。年上や師範ならまだ納得出来たが、同年代と言う事実は緩く生きていたノリトの価値観を引き締める結果となったのだ。そして、少しでも差を縮める為に門下生も休みの日に学校をサボって道場を手伝い、師範に直接稽古をつけて貰おうと思った矢先である。
「やぁ」
「ん……ああー!?」
ノリトは道着に身を包んだ
「な、何故! ここに!? なんで道着を!?」
「ははは。さっきも隣に立ってたけどね。顔を認識する前に逃げてしまったか」
天月新次郎の名は日本でも知名度が高い。街中に現れればこぞって人が集まってくるだろう。しかし、七海家に関しては少しだけ事情が違う。
「君は……ノリト君だったかな? 七海課長の弟さんだよね?」
「はい。七海智人と言います。何の因果か……あのゴリラ女の弟をやってます」
「愛想を言い合えるのも姉弟ならではだね。俺もその枠に入った時は是非とも歓迎して欲しい」
「……母から聞きましたけど、姉貴にマジなんですね」
フランス旅行で彼と遭遇した姉がプロポーズを受けた出来事を母から聞いていた。ノリトは冗談だと思っていたが、当人があっさり目の前に現れた事実は真実だと認識するには十分だった。
「聞きますけど、あんなゴリラのどこがいいんですか? 口悪いし、怒鳴るし、すぐ殴るし」
「親しい者は内側を見がちだからね。外側からの彼女の魅力は絆が浅くなければ気づけないものだよ」
君の非行に関しても、条件付きだが彼女は自分の所で止めるつもりらしいからね。と、外から見ればこその優しさが垣間見えている事を語る。
「はぁ……確かに見た目だけはいいッスけど。天月さんならゴリラ姉以上の性格と容姿の
「そうだね。でも、君が思ってる以上に理由のつかない現象と言うモノは広く存在するよ。俺が君のお姉さんへの愛に、未来を見たように」
「……はい?」
唐突に変な事を言った気がする。いや、これが天月のアプローチの仕方なの……か?
「大丈夫。俺が勝ったら君にもわかるさ。愛の力は無敵だと言うことがね。それじゃ」
と、天月は階段を下りて行った。
「……姉貴、変なのに狙われたのか……」
馬鹿と天才は紙一重と言う。しかし、あれは常人では理解できない思考を天才が持つからなのだろう。そう言うことにしよう。
「ノリ……」
「お? よー、リョウ」
石段の下まで草むしりの位置を移動したノリトは裏道から上がってくる親友の姿に手を上げた。
「掃除の日はいつも、やってらんねー、って来ないのに今日はどうしたんだ?」
「……まぁ、俺も心を入れ替えたわけよ。感謝してくれ。学校サボって一日中手伝ってやったぞ」
「俺たちは感謝するが……ケイさんに見つかると拳骨じゃ済まないぞ?」
「それは実証済みだ」
「おい、まさか……」
「大宮司先輩? 知り合いですか?」
遅れて階段を上がってくる女子の声。ノリトは当然のように背筋と髪型と緩んだ道着を整える。しかし、たんこぶだけは引っ込め様がない。
「やぁどうも! 俺の名前は七海智人。君の先輩、大宮司クンとは親友サ! 是非とも俺の事は覚えて行って欲し――」
と、現れた女子を見てノリトは固まる。それは8月にレジャー施設にて遭遇した怪物ジイさんの関係者の女の子。
「あなたは……」
女の子もノリトの事を思い出した様だ。ノリトの脳内には走馬灯が駆け巡る。そして、辺りをキョロキョロ。
「今日はあの女の子とジイさんは居ないのかい?」
「あの二人はただの友達ですよ」
「そっかぁ~」
ふぃーとノリトは安堵して座り込んだ。リョウは何の話だ? と女の子――リンカに説明を求める。
「あの時か」
「はい。七海さんには助けて貰いました。けどその後にちょっとした勘違いが起こりましたけど……」
「はは……あれは俺もきちんと会話をするべきだったよ……」
しかし、会話が通じたのかは微妙な状況だった。それにゴーレムみたいなジイさんは只者じゃなかったし。
「あのジイさん。多分師範と同格かソレ以上だと思うぜ」
「そうか」
ノリトはさほど興味なさそうな親友に嘆息を吐く。彼の視線は物珍しげに道場の門を見上げるリンカへと向けられていた。
「おいおい、親友やるな。いつの間にか進展してんじゃん」
リンカに聞こえない様にノリトはリョウと肩を組んで話す。
「いや……そんな感じじゃない。
「解ってねぇな親友よ。普通はペットを飼ってるからって男の家に来ると思うか?」
「うむぅ……しかしだな……」
「大宮司先輩。ノーランド君はこの上ですか?」
リンカは普段見ない道場の石段にワクワクして上を指差す。
「もう行きなさい。後ろは俺が護っててやるよ」
「……ケイさんに少しだけ口を聞いてやる」
「サンキュー。だが、今はあの子を見てやれや。俺はクールに草をむしるぜ」
クールの定義が良くわからなくなってきたリョウは、上に行くか、とリンカと共に石段を上がる。
「凄い雰囲気がありますね。ザ・道場って感じです。この石段を登り下りするトレーニングとかはやるんですか?」
「いや、それは怪我の危険があるからあまりやらない。小さい子も通ってるし」
「へー、やっぱりシュン君も習ってる感じです?」
「駿は最近始めた。すぐに根を上げるかと思ったが意外と続いてる」
「先輩の弟さんだからですよ。心強い背中って憧れますもん」
「それはどっちかと言うと姉弟子の方かもな」
指導員としての能力も高い姉弟子は、弟の年齢に合わせた無理のない身体作りから始めている。
と、階段を登りきると少しだけ拓けた空間。そして奥には道場の母屋があり、
「わ! いた~!」
股を開いて座り、前に身体を倒す駿の背中を
リンカの声に駿は視線を向ける。
「にいちゃ!」
「特訓は順調か?」
「やっほー、駿君」
「あ! えっと……サメさん!」
駿は立ち上がって走ってくるとリョウに抱きつく。ノーランドも、へっへっへっ、と息をしながらリョウに寄った。
「サメさん、ケイちゃにホネくだくのならいに来たの?」
「え? 骨砕く?」
「あぁ、気にしないでくれ。駿、サメさんはノーランドに会いに来たんだ」
「ほんと!? よーし! ノー! おすわり!」
駿の言葉に、スッと座るノーランド。撫で待機で尻尾がブンブン動く。
「せ、先輩……触っても?」
目の前にいる大型犬にリンカは触りたくてうずうずしていた。
「ノー! GO!」
「ばう!」
「うわっは!?」
駿の掛け声で飛びかかってきたノーランドにリンカは押し倒されて、顔をベロベロ舐められる。
「さ、鮫島!? 大丈夫か!?」
「あはは。大丈夫です! うひゃー! くすぐったい!」
端から見れば襲われてる様にしか見えないが、リンカもノーランドも楽しそうである。
思わずパンツが見えそうになった事を一人察したリョウは咄嗟に眼を反らす
おすわり! と、駿が言うとノーランドは、舐めるのを止めてリンカから放れてピタッと座る。
「あはは。べとべと」
「……何か拭くものを持ってくるよ」
よしよし、とノーランドの頭を撫でるリンカにタオルを見繕おうとリョウは道場の扉を開けた。すると、中では――
「――ケイさん?」
姉弟子が倒されていると言う信じられない光景を眼にする。そんな大宮司の様子に、どうしたんですかー? とリンカ、駿、ノーランドも同じ光景を覗き込む。
「――――」
そして、リンカは靴を脱いで上がるとケイに手を出そうとしている男へ近づき、一言。
「お前……何やってんだ?」