第610話 わしは……もう自由なのじゃ!
文字数 2,959文字
「落ち着いてください! 全員乗れます! まずは怪我人や足の不自由な方から――」
屋上でホバリングするヘリへ怪我人や子供を優先して引き上げ、健全者や男児はその後に順番を待つ。
その際にまだ中に子供がいると聞き、俺は同僚に補佐を頼んで屋上の扉から中へ入った。
ひび割れる階段は地獄の入り口の様だったが、この先で震えてる子がいると思うと足がすくむ事は全くなかった。
「大丈夫かい?」
家具の隙間で魔法少女のぬいぐるみを抱えて震える女の子を見つけて、優しく声を掛けると怯えて動けそうになかったので、抱えて屋上へ。
角を曲がれば階段と言う所で崩れた瓦礫が降り注ぎ、咄嗟に女の子を奥へ手放した。
潰される事はなかったが、瓦礫に足を取られてしまう。すぐには抜け出せない。
「良いか、お嬢ちゃん! 振り返らず、真っ直ぐだ! 真っ直ぐ走れ! 大丈夫だ! マジカルリリリが必ず護ってくれる!」
女の子は助けようと駆け寄って来てくれたが、俺はソレを制して逃げることを促した。
女の子は一瞬迷った。しかし、軋む建物の音と俺が何でもない様子で微笑んだ事で屋上の階段へ登って行った。
ヒーローはどんな時でも笑ってる。そう思ったからこそ、俺は咄嗟の窮地でも笑って見せたのだ。
ミシミシと軋む音が、バキバキと崩壊に変わる。何とか抜け出そうとするが、足は隙間にガッチリ挟まっている。
「くそっ……靴を脱げば――」
その時、床が崩れた。最早建物としての機能は完全に失いつつある。俺は死を覚悟したが下階の廊下に落ちただけだった。
「痛てて……」
鈍痛。しかし、鍛えてるおかげか、動きが停止する程ではない。そして、偶然にも足を挟んでいた瓦礫が緩み、何とか抜け出した。
階数は2階。上がるよりも、下階に降りる方がいいか?
下階は思ったよりも形が残っている。進化する現代建築の賜物だ。下手に上るよりも一階の窓から脱出する事を選択する。
「よし……行ける!」
思った通り、下階への階段は残っていた。いつ崩れるわからない以上、急いで廊下の一番近い窓へ。窓を開けて外へ脱出――
「テメェは俺らが殺したハズだろう? 何で生きてやがる」
「フフ。少し、君は頑張り過ぎじゃないかい?」
そんな声が聞こえて、脱出の手が止まった。まだ要救助者がいるだと?
決して見逃せない声。脱出経路も確保出来た以上、その場へ向かうのは必然だった。
場所は近くの一室。いつ崩れるかわからない。モタモタしてると皆浮き埋めだ。
「まだ、誰かいるのか!?」
俺は開きっぱなしの扉から声を上げてその部屋に入ると唖然とした。
現場には老人と女子高生の二人が居た。それは良い。問題は二人の構図だった。
血まみれで壁に背を預けて座る女子高生が血のついたナイフを持つ老人から見下ろされているのだ。
明らかに傷害現場。どんな理由があろうと、すぐさま凶器を持つ老人を取り押さえなければならないのだが……
なんだ……この異様な空間は……
その部屋だけ、別の空間のような雰囲気に足が動かなかった。進むも戻るも出来ない。声さえも上げられない。
多くの現場で修羅場をくぐり抜けた経験とはまた別のナニが二人の間には存在している。
「フフ……遂に見つかってしまったね。神――」
「よそ見すんな。俺の質問にだけ答えろ。サモン」
女子高生の肩に老人のナイフが差し込まれる。死に体の彼女への追撃は非人道の様に見えるハズなのに、諌める事が出来ない。
しかし、女子高生は痛がる様子もなく、狂った様に笑っていた。
「世界がワタシを求めるからだよ? 君と将平君には“時代”を譲ったのだ。次はワタシの時代だ」
「相変わらずワケわかんねぇイカれ野郎だ。まぁ、そのおかげでどんな姿をしてても躊躇いなくテメェは殺せるんだがな」
「今回は『GB』試作運転だ。実に素晴らしいだろう? どんなに足掻こうと、世界はいずれワタシを求めるのだ」
「……」
「君のおかげで我々は日本に入れない。しかし、それも限界だ。もうじき君は寿命で死ぬ。日本にはそれからゆっくりと根を這わせるとするよ」
老人はナイフを引き抜くと、女子高生の心臓に突き立てた。カハッ……と彼女は血を吐く。
「その前に“お前の元”を見つけ出して殺す」
「容……赦無い……ねぇ……フフ……これも……“記憶”して……いる……ワタシは……人の意識……そのもの……」
と、女子高生は笑いながら事切れた。老人はナイフを引き抜き血を払う。
俺は……一体、何を見たんだ?
「山下だな?」
老人から名前を呼ばれて金縛りが解けた。
「な、何故俺の名前を!? いや……その前にこの状況はなんだ!? あんたは……何をやって――」
その時、上が潰れる様に崩れて来た。俺は咄嗟に部屋から出る様に廊下へ回避する。
「はぁ……はぁ……」
危機一髪。しかし、老人は部屋の中にまだ居る。
「おい! 無事か!?」
相手が人殺しでも関係ない。生きているかどうかの確認は反射の様なモノだった。すると、
「山下。今日の事はお前も忘れろ。これに関わると“日常の底”が抜ける。お前はその覚悟が必要の無い人間だ」
瓦礫の向こうからそう聞こえてくる。
「な……あんた! 人を殺しておいて、逃げるつもりか!?」
「お前は人を“救え”」
「おい! 聞いて――」
更に崩落が始まる。俺は留まるのが限界だと悟り、確保していた窓から外へ脱出すると、崩れる建物から走って離れた。
その後、崩れたビルでの死者は奇跡的に0人と報じられた。
そして、辛くも生存した俺は劇的な生還者として隊内でも評判となったが……
「山下、
「色々考えた結果です。俺はもうオレンジは着れません」
俺はレスキュー隊を辞めた。理由はずっと信じていたモノが崩れたからだ。
あの時、女子高生が殺される場面を止められなかったから――ではない。
あの時……老人が女子高生に突き立てたナイフが正しいと感じてしまったからだ。
俺の持つヒーローとしての志と同じくらいの信念をあの老人から感じたからである。
理由はどうあれ、人殺しを正しい事に感じてしまった以上、今後は胸を張って救助者に手を差し伸べられないと思ったからだ。
『魔法少女! マジカルリリリ、見参!』
そんな時、街中の電器店のテレビに流れていたヒーローを見て、もう一度だけ初心に帰って追ってみる事にした。
結果として貯金を崩しながら現実逃避の様に始めたアニメの追っかけが数年続いたある日、
「サマー、あまり出歩かない方が言いデース。『ジーニアス』の残党が――」
「やかましい、ミツ! わしは……もう自由なのじゃ! ここで引きこもるのはサモンのヤツに屈するのと同じ! とにかく、PCを揃えるぞ! 折角新居も手に入れたんじゃ! ここを『ハロウィンズ』最強の支部にしてくれるわい!」
「それなら聖地アキハバラに行きまショー。メイドカフェへGOデース」
サモン。あの老人が女子高生を呼んだ時のその名前だけが唯一の手がかりだっただけに思わず――
「すまない! そこのお二方!」
「ん?」
「……」
慎重差が1メートルはありそうな二人はこちらを見る。
「今、サモンと言ったです、か!?」
久しぶりに人と会話をしたので少し飛んだ。