第187話 ファザマザコン
文字数 2,265文字
鬼灯先輩から差し出されたマイクを全力で断るリンカ。確かに人前で歌うのは結構慣れがいる。
「大丈夫。皆、酔ったみたいだから、今なら歌いやすいわ」
未だに回復しない人達を見て、鬼灯先輩は告げる。当人はその理由には思い至らないご様子だ。
「リンカちゃん。ここは吹っ切れちゃおう!」
「恥ずかしいんだ!」
「これも社会勉強だよ。一回やってみても損はないって」
「うぅ……カラオケとかあんまり行かないんだよ。皆みたいに上手く歌える自信もないし……」
まだ家事に慣れてない頃にセナさんのスーツに見よう見真似でアイロンをかけて焦がした時の――すがる様な目を向けてくる。ちなみにその時はオレが罪を被った。(速攻でバレたが)
「全くはないでしょ?」
「そうだけど……」
「じゃあリンカちゃんの次はオレが歌うよ」
「どういう理屈だ……」
無理意地は良くない。これ以上、リンカが遠慮すれば次に流そう。
「……次、歌えよ。ちゃんと」
「歌う?」
「……歌う」
鬼灯先輩は嬉しそうに微笑み、リンカにマイクを渡す。
「う、歌います!」
そう言って、リンカは立ち上がると、ぎこちなく歌い出した。
普通に年頃の声で、緊張の混じる歌声は微笑ましい。鬼灯先輩と聴覚が無事な4課面子の合いの手による援護もあって最後まで歌いきった。
「いい声ね」
「ふむ。ダイヤの原石ですな」
「いぃねぇ~」
「……」
少ないながらも観客達は満足したようだ。真鍋課長は目を閉じてノーコメントだが、頷いている。機嫌は良さそう。
リンカはペコリと頭を下げると席に引っ込み、ほら、歌え! とそのままオレに手渡してくる。
「よし……いっちょ歌いますか!」
オレが席を立つと鬼灯先輩はパチパチと手を叩いてくれる。どもども。
「まだダウンしてる人がいるので優しい曲を」
オレは昔に母さんが良く聞かせてくれた生声の歌をスマホから流すと、それに合わせて声を出す。
「♪~」
オレ自身は何千、何万回と聞いた歌なので音程を合わせるのは完璧だ。
すると、場の雰囲気がなんか変わった。皆が聞き入る様にオレの歌に意識を集中している。
「~♪ 以上です」
と言うとワンテンポ遅れて、え? 終わり? と言いたげに皆は顔を向けてくる。
「それ曲は途中だろ」
「めっちゃ良い歌じゃん」
「鳳。お前ってプロかなんかか?」
意外にも、オレの歌は好評な様子。ダウンしていた面々も復活し、もっかい歌え! と催促してくる。
「一周したらな。ほれ、佐藤」
後ろの佐藤にマイクを放り席に座る。
「……」
「……リンカ様。なにゆえ……お睨みに?」
「お前……歌上手かったんだな」
「えぇ。昔、膝に乗せて歌ってあげたじゃない」
「……知らねーぞ」
「あら? シズカと記憶が混在してるか。リンカちゃんに聴かせた事なかったっけ?」
佐藤が歌い出す。持ち歌なのか中々上手い。
「ないよ。……聞いたこと無い曲だったな」
「これは母さんの声だよ。昔から子守唄の代わりに色々歌ってくれてさ」
母の携帯に残っていた録音を何とか抽出して、自分の携帯に入れているのだ。音質はかなり劣化して、曲も途中で切れてしまっているが。
「鳳君」
「なんでしょう?」
鬼灯先輩がこちらを覗き込む。
「間違っていたらごめんなさい。鳳君のお母様って
「違いますよ。母の名前はアキラです」
偽る意味はない。
「あら、そうなの?」
舞鶴琴音と言えば、オレが産まれる前に社会現象にもなった歌手の事だ。
村でも人気が高く、演歌と民謡以外は歌じゃねぇ、とか言うジジィも認める程の人物だったとか。
「母は真似歌が得意だったんですよ。舞鶴琴音って有名な方ですよね? レパートリーに入ってたんだと思います」
村の皆がこぞって持ち上げるのでオレも少し調べた。音楽史に名を連ねる程の人物だったようなのだが、食道癌で歌えなくなり、そのまま死去したとの事。活動期間は五年にも満たなかったとか。
「変な事を聞いてごめんなさいね」
「いえいえ」
オレの両親が他界している事は社内でも周知の事実。その話題に関してはすぐに避ける事が通例となっていた。
「そう言えば、お前のお父さんって何の仕事やってたんだ?」
カラオケのバトンが進む中、リンカはオレの両親の話題を続けた。
父と母に興味を持ってくれるのは純粋に嬉しい。
「医者だよ。最初は国内で働いてたらしいんだけど、限界を感じて国外に出たらしい。そんで、海外で母と知り合って、ゴールイン」
その辺りは楓叔母さんとばっさまが事細かに覚えていたので教えてもらった。
「なんでも紛争に巻き込まれたとか、テロリストに拉致されたとか。その縁で母とは出会ったらしい」
「なんか……嘘っぽいな」
「ははは。オレもそう思う」
若干は盛ってる気がしてならない。叔母さんもばっさまも、オレに気を使ってくれたのかもしれないし。
「そっか……会って見たかったな」
この場に二人の写真は無いのでオレは代わりにスマホを差し出した。
「声なら聴けるよ? 聴く?」
まだ幾つかレパートリーのある母の歌声。どれも中途半端に終るモノだが、オレにとっては掛け替えの無い思い出だ。
マザコン? 違うね。オレは誇りあるファザマザコンだ!
「聴いてみる」
リンカはオレのスマホにイヤホンをつけると、母の歌声を聞き始めた。
カラオケは社会人なだけあって皆上手い。しかし、意外にも社長は音痴で、国尾姉弟のデュエットはガチで上手かった。後、ヨシ君のアニソンもヤバかった。
高速に道路に乗ったバスは休憩も兼ねて、一旦、サービスエリアに停車する。