第276話 他に走ってたら○すかな
文字数 2,712文字
「うぅん……なに……?」
眠っていたリンカは揺さぶられて目を覚ました。少し不機嫌に目を擦りながら身体を起こすとヒカリが手を合わせて申し訳無さそうにしている。
「……どうしたの?」
「ゴメン、ちょっとトイレ付いて来てくれない?」
普段とは違った夜に興奮して眠れなくなった宿泊研修。そこで部屋の生徒だけで始めた怪談話は恐怖度が高く、各々の家族から聞いた話や、実体験などが多かった。
「別に良いけど、何が一番効いた?」
「水の止まらない水道」
中でも水間さんの『水の止まらない水道』の話はヒカリにクリティカルだったらしい。
目を離すと、ピチョン……ピチョン……とこぼれる雫。気になり振り向くと、水道の前に誰か立っており、次に目を離して振り返ると、グズクズに顔の崩れた水死体の人間がピチョン……ピチョン……と肉を垂らしながら目の前に立っていると言う話だ。
「ほら……ここって至るところに素置きの水道あるじゃない? ここからトイレの道順でも結構あるし……トイレにもあるし……」
「だから、参加するの止めときなって言ったのに」
「後悔してるから……お願い助けて」
「助けるよ。ほら、行こ」
リンカは社員旅行の肝試しの方が高次元だった事もあって皆が話す怪談を、ふーん、と聞いていた。
「あの、水道……閉まってる?」
「大丈夫だって。下も乾いてるし」
外廊下を歩きながら、道中に設置された水道に警戒するヒカリはリンカの腕を離すまいとしがみついていた。
リンカは歩きづらいが、親友がこんなに怖がる事も新鮮なので、それなりに楽しむ。
「リーン。居るー?」
「居るよー」
トイレに入ったヒカリの個室の扉に背を預けて板一枚向こう側にいる証明として常に声を出す。
「……お騒がせしました」
「いえいえ」
手を洗ったヒカリはトイレから出てリンカに一礼。その後は多少馴れたのか腕を掴まずに並んで歩く。
「リンって怖いもの無いの? 全然平気そうだけどさ」
「何て言うか……ほら、隣の人と社員旅行に行ったじゃん? その時にやたらレベルの高い肝試しがあってね……」
「うわ……そうなんだ……」
「キットカットを取って帰って来るんだけど……走って帰ってくる人は何人も居たし、倒れる人もいた。最後なんて、一瞬だけど行方不明になった人も出たからね」
「うわ……行かなくて良かったかも。でも、何でキットカット?」
「さぁ? 大人の事情じゃない」
「キットカットを使おうとしたその大人はマトモじゃないわよ」
多分社長さんかなぁ。普通とはかけはなれた思考を持っていたので考えられるのは彼だろう。しっかりしてたけど、遊びになると子供みたいに楽しむ人だった。後声も大きかった。
「それよりも、リーン。ケン兄とは何か進んだんでしょうね?」
ヒカリは学校ではそれなりに躱された事を改めて、ニマニマしながら聞く。
「前にも言ったけどね。別に何もないから」
「えー、うそー。ふむ……確かに他の人の眼もあるだろうし、基本は集団行動だからイチャイチャパラダイスは出来ないか」
「どっかで聞いた単語を変に使うの止めなよ」
「温泉旅館だったんでしょ? 何とか混浴とかやれば良かったのに」
ヒカリは、流石に物理的に無理か、と結論を出しリンカを見ると、彼女は顔を赤くしていた。
「……え? 嘘。リン……まさか……」
「な、無いから! そう言うのは一切無いから!」
「リン。処女?」
「話をどんどん飛躍させるの止めて!」
その反応が答えのようになってしまっているが、ヒカリとしてはこれ以上に無い話題だ。
明らかに口撃が来る。そう察知したリンカは、
「ヒ、ヒカリも。異性と混浴くらいあるでしょ!?」
かなり苦し紛れな反撃だ。ヒカリは父親が警察官と言う事もあって、異性が彼女とそう言う関係になるのはハードルがかなり高い。
故にそんな事は起こるハズもなく、なに言ってるよ~、と躱される未来をリンカは想定した。
「……ヒカリ?」
想定したのだが、ヒカリも顔を赤くして何かを思い出すように口を閉じていた。
「……え? ヒカリ……まさか……」
「ご、ごめん! この話題止めよう!」
声を張り上げてヒカリはそう叫ぶ。
相手国からの停戦要請にリンカは様々な考えが頭に浮かぶも、ソレを受け入れる事にした。
しばし、無言で歩く。すると、沈黙に耐えられなくなったヒカリが話題を振った。
「今さ、ケン兄って一人なんでしょ?」
「普段から一人じゃん」
「いやいや、普段はリンが近くに居るでしょ? でも宿泊研修で、二日は会えないわけじゃん?」
「そんなの、お盆の時にもあったよ」
「甘いわよ、リン。ケン兄も男よ。しれっと女の人を連れ込んでる事なんて、あるんじゃなーい?」
「ははは、ないない。浮いた話なんて全然聞かないし。でも――」
「でーも?」
親友の反応が気になるリンカは少し楽しみながら続きを問う。
「人のを触っといて、他に走ってたら○すかな」
そう、微笑みながら告げるリンカに、どの怪談よりも背筋が冷えたヒカリは、この話題もタブーに入れる事にした。
吐き気がする。
この世はまるで肥溜めだ。見るもの全て醜く、どいつもこいつも反吐が出る。
だから俺は気がついた。
そんな、肥溜めでしか生きていけない俺もまた、奴らと同じ存在なのだと。
どんなに階段を登っても纏わりつ始める異臭を振り払えない。
それでも偽り、腐臭を漂わせながら纏わりつくゴミ共に愛想を振り撒きながら生きていく。
それが俺の人生なのか? こんな地獄が永遠と続くのか?
このままでは俺も奴らと同じになってしまう……駄目だ。もう……耐えられない。
彼は死ぬつもりだった。
人とは違う感性を持ち、巨大な業績を立ち上げたが、それでも腐臭の無い場所はこの世界には無いのだと理解するだけだった。
そして、周りの腐臭によって自分も同じ臭いが漂い始めている。
故にこの苦しみから逃れるには命を絶つしかないと思い至った。
「……」
そんな中、ふらっと寄った小さな公園で一人の少女が泣いていた。
色素の薄い髪を理由に他の子供から虐められる少女。
羽の色が違う事を理由に一羽を虐げる鳥の群れ。その動物的な本能による差別に本来なら干渉する事はなかった。
「――」
しかし、彼は少女を見て驚愕する。
子供であっても他が醜く腐臭を漂わせる中、その子だけは光っていたのだから。
まさか……あの子は……この世界でただ一人……俺が欲して止まなかった……
そして、彼は子供たちを追い払うと、少女へ声をかけた。
「君の名前は?」
「……しょうこ……なくらしょうこ……」
「――俺は
それは彼にとっての“救い”となったが、彼女にとっては“悪夢”の始まりだった。