第617話 偉人のセンス
文字数 1,857文字
「最後はかなりゴリ押しだったけどね……」
「そんな事はないぞ。時間をかけてくれたおかげで呼吸は整った」
スマートにかわしたサマーちゃんとは違い、泥臭い帰陣だったが……時間をかけた分、サマーちゃんの体力は十分に回復したようだ。若いって良いな。
「しかも、幾つかの作戦も思い浮かんだ」
「ホント?」
「試してみんと何とも言えぬが……やってみる価値はある」
「やられたなぁ」
「アレは仕方ねぇよ。本来なら
体格と筋力が勝る成人であるケンゴを一時的とは言え、停止させた草苅の技量は高校生の枠を大きく外れていると言えるだろう。
「お前、どんどんテンションが上がってるぞ。あんまりやり過ぎると、二人が萎え落ちしちまうぜ?」
「そうかな?」
草苅はサマーとケンゴを見るが、こちらに対して僅かにも畏怖する様子はない。それどころか、次は捕まえると思わせる雰囲気がある。
「手を抜くと捕まりそうだ」
とん、と草苅は地面を蹴ると少し助走をつけ、速度を乗せるとミッドラインを越える。
「カバディ」
「!?」
ゆっくりと品定めするように入ってきていた草苅のレイドはここで速度を上げた。ダッシュで敵陣に入るとそのまま真っ直ぐボークラインを目指す。それはまるで短距離走と間違う程の勢いだった。
速攻。
気の緩んだ相手の気持ちが整う前に制するその動きは、身体を常に動かすスポーツには必ず存在する概念だった。
そのレイドにミッドライン付近のケンゴは咄嗟に反応できず、道を開けるがサマーは――
「カバディ」
ボークライン前まで瞬時に下がる。
ボークラインを越えるまで
そこを――
「捕まえるぞ! フェニックス!」
その直進は止められない。サマーの短い言葉にケンゴも意図を察し草苅の背後を追う。
「カバディ」
草苅がボークラインを踏む。その瞬間、
「何度もさせるか!」
「急停止だとアイソレーションは使えないな!」
津波が草苅を飲み込む様に、サマーのケンゴのキャッチが前後から襲う。
「カバディ――」
急停止と同時にボークラインを越えた草苅にサマーは手を伸ばす。
片腕。小さい。このキャッチは一歩遅い。捕まる前に逃げられる。
「カバディ」
サマーのキャッチは届かない。草苅は背後から来るケンゴのタックルをかわす事へ意識を置いた。
前後から挟まれる形だが、動きの主導権は草苅にあった。
「カバディ」
ケンゴが
襲いかかる津波を耐える事は出来ない。だが、乗る事は不可能じゃない。
「カバディ」
それは実に自然な動きだった。草苅は脱力した状態から踵に重心をおいて、右へ動く。
ケンゴから見れば、その動きは横にスライドしたかのように見えただろう。
脱力+踵から動き出す。
人は踵をブレーキに使う場合が多い。しかし、もっとも無理なく身体を動かす際には踵から始まる反作用を利用する事が理想的だと言われていた。
かのマイケル・ジョーダンや宮本武蔵なども踵の初動を主に置いた動きを現実のモノとし、大成している。
無論、誰でも簡単には使う様なモノではなく、上記偉人二人と同じセンスが必要となる。
「カバディ」
その動きでサマーのキャッチは外れ、ケンゴのタックルも避ける。一挙動で全てを回避する。草苅の動きは完璧だった。
「二分の一!」
「捕まえ……たぞ!」
その時、ジャラリ、と草苅の進行を塞ぐように“鎖”が展開される。
それは手を伸ばしたケンゴとサマーの腕が繋がった事によって生まれた進行妨害だった。右か左か。可能性は二分の一。しかし、二人のヤマは完全に当たった。
二人の伸ばした腕はキャッチじゃなくて“
物理的に退路を塞いだ。草苅は既に横へ動いており、もう進行方向の変更は出来ない。
「カバディ」
だが、草苅は
張られた“鎖”に手を添えると平然と乗り越えたのだ。
「なんだと!?」
「そんなのアリかよ」
完全に詰ませた。
そう思い込んだ故に、この可能性はサマーとケンゴの頭からは完全に抜け落ちていた。
「カバディ」
草苅は越えた鎖から二人の囲いの外に出ると、そのまま帰陣する。
「レイド成功、アンティ失敗」
紫月が宣言し、五秒にも至らない高速の攻防は草苅の勝利であった。