第625話 さっさと投げろ!
文字数 2,852文字
「ん?」
グラウンドに移動したオレらはバットやヘルメットを装備していると、キャッチャー装備を着込んだ野村君(兄)が声をかけてきた。
ヒカリちゃんは不機嫌で、エイさんの登場時のインパクトは初対面では中々に話しかけ辛い。故にオレに声をかけたのだろう。
「これって……弟が打たれた場合はCDの件ってどうなるんですか?」
「そう言えばそんな事も話しに上がってたね」
エイさんの登場ですっかり忘れていた。考えなくても良い――
「『舞鶴琴音のCD』はちゃんと貰っていく! リスクも無しに私の前に立てると思うなよ!」
エイさん、勝負の卓に『舞鶴琴音のCD』が乗ってる事を聞いてたのか。しかも魔王みたいな事を言ってる。その言葉に野村君(兄)は青ざめた。
「あー、そうだね。ちょっとオレに考えがあるんだけど」
オレは皆丸く収まる方法を野村君(兄)に告げる。
「え? それって可能性なんですか? 親父も何度も試して無理だったんですけど」
「知り合いにそう言うのが強い人がいるんだ。まぁ、何とかなると思う。大人としてなるべく君たちには良い形に収まるように努力するよ」
「鳳さん……ホントにありがとうございます!」
肺活量の強さを感じる力強いお礼の言い方は流石は野球部と行ったところだ。
すると、ガヤガヤと人が増えてきた。どうやら、エースが投球すると聞いてギャラリーが興味本位で集まってきたご様子。
「兄貴! 早く位置についてくれ! 俺の休憩時間が終わっちまう!」
「あのヤロウ……お前、終わったら話があるからな!」
キャッチャーマスクを着けて定位置に向かう野村君(兄)は悪態を付きながら屈んだ。
「よし! ヒカリ! お前が最初だ! 次にケンゴ!
「ママ……この事はパパに言うからね」
「哲章が恐くてお前の母親がやれるか!」
哲章さんとエイさんの絡みも見てみたいな。ヒカリちゃんの側には基本的にはどっちかで事足りる場合が多いし、仕事の都合上、二人が外で揃う場面なんて、早々無いだろう。
「ヒカリちゃん、ここまで来たら波に乗っちゃおうよ」
「都市を沈没させる程の大津波だけどね」
と、言いつつもやることに手を抜く事はしないのがヒカリちゃんだ。ヘルメットにバットを少し重々しく持って何とか構える。
振るのも一苦労な様は完全に素人だ。
「谷高……俺は心苦しいが。俺の“愛”を間近で確認してくれ!」
「野村先輩。早く三球投げてください♪」
構図はメイドと退治する新撰組。なんつータイムトラベルバトルだよ。これだけでネタになる状況だ。あ、ギャラリーの中に居る新聞部っぽい生徒がシャッター切ってた。
「だりゃあ!」
野村君が腕を振り抜くと、ズバンっ! と瞬きの間にボールはキャッチャーミットに収まっていた。しゅぅぅぅ……と浅く煙を出している。
ワンストラーイク。
「……」
「うぉぉぉ!」
ズバンっ! ツーストラーイク。
「……」
「ぜぁぁぁ!」
ボォン! スリーストラーイク。バッターアウト。
「これが俺の愛だぁ!」
野村君が野獣の様に吼えた。
ネクストバッター席から見てたけど、スゲー速度出てたな。キャッチャーミットに収まる音も半端ねぇ。ヒカリちゃんがヘルメットを取りつつ歩いてくる。
「無理。あんなの打てない」
動体視力で言えば一番若いヒカリちゃんが反応出来ない速度だったらしい。
「まぁ、仕方ないよ。どんなバッターでも、事前情報と練習無しに初見ピッチャーからヒットを打つのは難しいからね」
特にヒカリちゃんは筋力的にバットを振り回す事も容易くない。あの球威なら上手く当たっても逆にバットが弾かれていただろう。
「ヒカリ! せめて振るのだ! ピッチャーを揺さぶって行け!」
「……」
もはや、ヒカリちゃんは呆れ過ぎてエイさんと視線さえも合わさなくなった。はいはい、と適当に返事をしつつ、安全な所へ行く。
「よし、ケンゴ! 次はお前だ!」
「うっす」
ヒカリちゃんは難しかったとしても、オレはちょいちょい、バッティングセンターで程よくカキンカキン打ってる事もあって、それなりに自信があったりする。
「よし……こい! 野村君!」
「鳳さん……俺は貴方が羨ましいぃ!」
ドォォッ! とキャッチャーミットにボールが収まっていた。ん? ボール……今、ワープした?
ワンストラーイク。と野村君(兄)が返球する。
「俺ももっと早く谷高と出会っていれば!」
ドォォッ!!
ツーストラーイク。
「お兄ちゃん……って言われる幼馴染みになれていたハズだ!!」
ドォォッ!
カウントスリー。バッターアウトー。
「オオオオオ! 俺は最強だぁ!」
「…………」
何だアレ? もはや高校生とは別次元の存在だ。彼の投げる球は低く見積もっても140kは出てるだろう。目が慣れなかったと言う事もあるが……手も足も出ないと言う言葉がこれ程しっくりくる状況に遭遇するとは思いもしなった。
やっぱり、今世代の高校球児は一般人を超越している。
「ごめん、ヒカリちゃん。アレ、バントも無理だと思う」
「初見で打てるのダイキぐらいよ」
超越者には超越者でしか対抗出来ないと言うワケか。能力モブのオレでは何とか球に合わせてもバットが吹き飛ばされていただろう。
「だらしないぞ! 二人とも!」
ものの数秒でギャラリーと化したオレらを叱咤しつつ、ザッ……とバッターボックスに立つのはエイさんだ。
「せめて、バットにかすらせるんだ!」
「じゃあ、ママがやってよ」
「エイさん。物理的に打てませんよ、ソレ」
「それは浅はかだぞ! ケンゴ!」
バットを構えながらエイさんは野村君を見る。凄まじいオーラだ。野村君のモノと拮抗している。
「お前達は野村君の圧に負けているに過ぎない! 私がソレを証明してやろう!」
「貴女を打ち取れば……わかって貰えますね!? 俺の“愛”が!」
「私が教えてやるからさっさと投げろ!」
「ウォォォォォオオオオ!!」
野村君の腕が消えた。いや、そう見える程の高速に振り抜かれた腕部によって放たれた速球は音速を越えた(様に見えた)。
ズバンっ! そんな音ともに球をミットに受けたキャッチャーが命懸けで球を捕球する。誰もが放たれたボールの行方をそう感じただろう。
「弱い!!」
しかし、球はエイさんの振るうバットによって凹まされると、キィィン! と言う音と共に完璧に振り抜かれ、高らかに上空を舞い、旧校舎の屋上へ飛んで行った。
「…………」(ヒカリちゃん)
「…………」(オレ)
「…………」(他観客一同)
「……ま、負けた? 俺の……愛……がっ……がふっ」
膝から崩れ落ちる野村君。エイさんはオレらに振り返り、
「見たかヒカリ! お前に対する“愛”を私以上に持つ存在はこの地球上に存在しないと言うことを!」
とても良い笑顔で彼女はそう言った。
忘れていた。エイさんも超越者だったよ。
「……もー、ホントに無茶苦茶なんだから」
と、ギャラリーの前で母親にそう言われてヒカリちゃんは恥ずかしそうに悪態をつくが、何処と無く嬉しそうだった。