第632話 ……うー、それズルいよ
文字数 2,105文字
「……今のって暮石先輩ですか?」
どう対応したものかと困っているとリンカが何とも言えない表情で尋ねる。
リンカにとって暮石の事はスレ違う程度の間柄。なので念のため本人かどうかを二人に確認する。
「ああ。彼女が二年の保健委員長だ。佐々木の言ってた通り、様子がおかしいな」
どうしたものか、と大宮司は取りあえず電気ケトルを見る。三つほど置かれており、例の『湯沸かしっ子(大口タイプ)』も鎮座していた。
「これだ、鮫島」
「これなら十分な大きさです」
二人がケトルを持っていく前提で確認している最中、佐久真は用具棚へ近づく。
「暮石」
佐久真の声に、ガタガタ、と用具棚が揺れる。
「君をそこまで混乱させるとは思わなかった。相手の事を考えないのは俺の悪い癖だ」
「…………」(ガタ……)
「さっき俺が言った事は忘れてくれ。本当にすまなかった」
そう言い残して場を去ろうとする佐久真は手を掴まれる。見ると用具棚の扉が少し開き、そこから暮石の手だけが伸びていた。
「……」
「……」
「……」
「……暮石?」
「嫌じゃ……無かった」
用具棚から聞こえて来る。
「初めて……だったから。こんな気持ち……」
「暮石」
「……だから……あのね……」
「暮石、用具棚の中でボソボソ喋られても、なに言ってるか聞こえん」
「……」
キィ……と扉が開くと恥ずかしそうに顔を赤くして視線を下に向けた暮石が出てくる。
「わ、私は……私も……そう……だったみたい……です……」
「会話の前後が成立していないが……今の会話の流れで俺と共通する事が何かあったか?」
「…………京平君。ソレ、ワザとやってたりする?」
「何故怒る?」
「……踏み込んできたのは京平君だよね?」
「ああ。家庭科室に踏み込んだな」
「そう言う事じゃなくて!」
と、こちらの気持ちも知らずにいつも通りな佐久真に暮石は本気で声を荒げた所で、彼が微笑んでる様に気がつく。
彼は、あまり笑うことがない。その事を指摘したら笑顔を作るのが苦手らしい。
だから彼が笑うのは本当に嬉しい時だけなのだ。
「君がいつも通りだと、俺も安心できる」
「……うー、それズルいよ」
佐久真から告白したと言うのに、彼の表情は全く変わらない。手を掴んで心境も伝わって来るが、不気味なほど平常心だ。
これは素で言っている事なのだろう。
「何か不正をしたか? そんなつもりは無かったんだが……」
「……ねぇ、私が用具棚から出てきた理由って会話がし辛いからだと思ってる?」
「ああ」
「ノータイムで……返すかなぁ? 普通……」
「なぜ、また怒っている?」
「私一人で空回ってるみたいで、馬鹿みたいだから!」
「君は馬鹿ではないぞ」
「もー! そう言う事じゃないよー!」
「なら、どういう事だ?」
「うっ……」
何なんだ? この幼馴染み。私ばっかりドキドキして……なんだか不公平だ。うー……
「やはり、さっきの俺の言葉が君に負担を強いているようだ。いつものリズムを崩す様なら忘れてくれて構わない」
「……それは……嫌……」
掴んだ手からこちらの心を伝えるように更に強く握る。彼の心は、心臓が停止しているんじゃないかってくらい変わらない。
「そうか。なら……今、さっきの返事をくれるのか?」
「へっ……返事……うん……わ、私も――お、同じ気持ちかなー。えへへ」
「同じ気持ち……とは?」
「ああっ! もう! 好きだよ! 京平君の事! 私も好きだから!」
うじうじするのが何だか馬鹿らしくなって、やけくそ気味に叫んだ。
叫び終わってから、自分が何を言ったのかを理解し、発生する熱で顔が更に真っ赤になるのを感じる。
「……そうか。そう……なのか……」
ようやく、彼の心が乱れて顔を赤くして恥ずかしそうに視線を反らす。
そうそう。それがさっきの私の気持ち! 恥ずかしさを堪能しろっ!
「じゃあ……なんだ……あれか? これからの関係は……彼氏彼女って所……か?」
「な、何か……劇的に変わる必要は無いと思うけど……取り替えずは……そんな感じです」
恥ずかしながらも嬉しそうに微笑む暮石に、佐久真は更に顔を反らす。
「……暮石」
「どうしたの?」
「その笑顔は止めてくれ……思わず……」
「思わず?」
「抱き締めたくなる」
その言葉に暮石は佐久真を掴んでいる手を離すと両手を広げた。
「はい。どうぞ」
「……いや……流石に」
「抱き締めたいんでしょ? いいよ」
「そうじゃなくてだな……」
ガタン。
「…………」
と、そこで暮石はようやく、大宮司とリンカもその場に居ることに気がついた。
二人に視線を向けると、リンカは告白を目の当たりにして顔を赤く口を抑え、大宮司はツバ悪く視線をサッと反らす。
「…………」
今までの流れを全て見られていた暮石は両手を開いたまま、ボンッ! と頭から煙を出すと、スッと姿勢を戻し家庭科室の出口へ、何事も無い風を装って歩く。
「…………」
そして、横戸に手をかけた所で何かを思い出した様にピタッと止まり、てくてくと戻ってくると佐久真の手を取り、そのまま彼を引っ張る形で共に家庭科室を後にした。