2-9.ずっとひとりきり

文字数 1,041文字

『綾香ちゃん、なんにも楽しそうじゃないよ』
 その通りだった。全部恵の言った通り。
 けれど綾香はそれを認められなかった。恵の言葉を無視して、存在を遠ざけて、気がつけばひとりになっていた。恋をしていたはずなのに、自分ひとりきりに。

 いつも休み時間をすごしているその場所に佐伯裕二はいた。いつも通りひとりきり。
 彼は、ひとりきりをなんとも思っていない。綾香とは違う。誰がいたってきっとこの人は、ずっとひとりきりなのだ。

「先輩」
 呼びかけたが佐伯はこっちを見ない。
「今朝は、ごめんなさい。わたし、よくわからなくなってしまって。でも、恵が」
 そう、悪いのは恵だから。悪いことは全部恵のせいにして、そうすれば、きっと。

「めんどくせえ」
 なんの脈絡もなく、こらえきれないように、佐伯が低く言葉を吐き出したのはそのとき。

「あんたしつこすぎ。たいていが二三日で見切りをつけてくのに馬鹿なの、あんた? もしかして自分なら、とか思ってる? ないから。いい加減諦めてくれよ」
「……ひどい」
「酷い?」
 佐伯は両手で綾香の頬を掴んで持ち上げ、至近距離から彼女の目を覗き込んだ。

「酷いのはどっちだよ? 俺は最初に言ったよな、あんたのことは好きでもなければなんの興味もない、石ころ同然だって。こんなこと言われてもまだ好きとかいう神経どうなってんの? 俺の面の皮一枚にそこまでなって友だちを捨てたりするのは酷いって言わないの?」
「……っ」
 綾香の目に涙が浮かぶ。

 ぼすっと佐伯の背中に何かが当たった。弁当箱が入っているらしい巾着袋ががしゃんと音を立てて床に転がった。

「綾香ちゃんは悪くない!」
 大きな瞳をいっぱいに見開いて須藤恵が叫んだ。
「綾香ちゃんは、悪くない。綾香ちゃんから離れろ!」
「恵……」
 ずるっとよろけるようにして綾香が恵に手を伸ばす。

「綾香ちゃん」
「ごめん……ごめんね……。本当にごめん……」
 恵にしがみついて綾香が泣き始める。自分も涙目になりながら恵はぎゅっとその体を抱きしめた。




 自分の方こそ馬鹿馬鹿しくて涙が出る。あの女の口車にまんまと乗せられて、あげく我慢ができなくなって自分から勝負を投げ出してしまった。
 きっとなにもかも、あの女の計算通り。実に馬鹿馬鹿しい。

 気分転換に飲み物を買いに購買に向かった。
 パンも売り切れて人気がなくなった自販機の前で、当の中川美登利とかち合ってしまった。

「……あんたの言った通りだよ」
 小銭を入れコーヒーのボタンを押しながら、佐伯はつぶやくように言葉を落とす。
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登場人物紹介

・池崎正人


新入生。持ち前の行動力と運動能力で活躍するようになる。負けず嫌いで男らしい性格だが察しが悪い。

・中川美登利


中央委員会委員長。容姿の良さと性格の特異さで彼女を慕う者は多いが恐れる者も多い。

・一ノ瀬誠


生徒会長。美登利の幼馴染。彼女に動かされているようでいて、実はいちばん恐れられている。

・綾小路高次


風紀委員長。堅物で融通が利かないが、意外な一面を持っていたりもする?

・坂野今日子


中央委員会書記。価値観のすべてを美登利を基準に置き絶対的に従っている。

・船岡和美


中央委員会兼放送部員。軽快なトークが得意。

・澤村祐也


文化部長。ピアノの達人。彼も幼い頃から美登利に心酔している。

・安西史弘


体育部長。際立った運動能力の持ち主で「万能の人」とあだ名される。性格は奇々怪々。

・森村拓己


正人の同級生で同じく寮生。美登利の信奉者。計算力が高く何事もそつなくこなす。

・片瀬修一


正人の同級生。総合的に能力が高く次期中央委員長と目される。マイペースで一見感情が鈍いようにも見えるが。

・小暮綾香


正人の同級生で調理部員。学年一の美少女。

・須藤恵


綾香の親友。大人し気な様子だが計算力が高く、けっこうちゃっかりしている。

・宮前仁


美登利と誠の幼馴染。市内の不良グループをまとめる櫻花連合の総長になるため北部高校に入学した経緯を持つ。

・錦小路紗綾


綾小路の婚約者。京都に住んでいる。

・志岐琢磨


喫茶ロータスのマスター。元櫻花連合総長。美登利たちの後ろ盾のような存在。

・中川巽


美登利の兄。初代生徒会長。「神童」「天才」と称されるものの、人間的に欠けている部分が多い。それゆえに妹との関係を拗らせてしまう。

・榊亜紀子


美大生。芸術に精魂を傾ける奇抜な性格の持ち主。

・村上達彦


巽の同級生。生い立ちと持って生まれた優秀さのせいで彼もまた拗らせている。中川兄妹に出会って一層歪んでしまう。

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