15-3.「怒るって、わからないんだよね」

文字数 836文字

「先に言っておけば良かったね。僕ね、怒ったことがないんだ。怒るって、わからないんだよね。腹が立つっていうの、なったことがなくて」

 亜紀子の瞳を色素の薄い茶色の瞳が覗き込む。
「つくづく僕って感情が欠けてるんだ。ああ、でもね」
 くすりと笑って彼は話し続ける。

「友人が言ってたんだけどね。僕が高校生のときにね、妹に触ろうとしたやっぱり高校生の男の子の腕の骨を折りそうになったことがあってね、あのときは鬼みたいだったって言うんだよ」

 彼は微笑んで話し続ける。

「別にそのときだって、そんなつもりは全然なくて。嫌だなあ、汚い手で触らないでほしいなあ、この手どっかにやってくれないかなって思っただけで、怒ったわけではないんだよ」
「……」

「また別の友人が言ったんだけどね、どうせおまえは恵まれてるから悲しいとか苦しいとか恨めしいとかがないんだろうって。僕の友人てみんな酷いことしか言わないね。でも仕様がないね。きっと僕がそういう人間だからなんだ」
「……」

「その通りなんだ。僕は恵まれてる。尊敬できる父がいて、明るくて優しい母がいて。勉強だってなんだって、やりたいことはやらせてもらってきた。子どもの頃はね、おかしな話だけど、そういうところに息苦しさみたいなものを感じてた。喜んだり笑ったり、そんなこともあまりなくて、いつも空が曇ってるみたいで」

 でもね、と彼は淡く微笑む。

「あの子が産まれてすべてが変わった。世界に光が差して、色が付いたみたいに。あの子は本当に、天使みたいにきれいでかわいくて、みんなが喜んでた。僕もそのとき、はじめて嬉しいって思えたんだ」

 亜紀子はこらえきれずに手で口元を覆う。

「嬉しくて感謝の気持ちでいっぱいになった。きっと、僕が母のおなかの中に忘れてきてしまったものを、あの子がかき集めて持ってきてくれたんだって思った。でもね、やっぱり怒りっていうのだけはよくわからなくて。あ、ちなみに妹はね、けっこう怒りっぽいんだよ」
 怒った顔もかわいいんだ、と彼は穏やかに言う。
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登場人物紹介

・池崎正人


新入生。持ち前の行動力と運動能力で活躍するようになる。負けず嫌いで男らしい性格だが察しが悪い。

・中川美登利


中央委員会委員長。容姿の良さと性格の特異さで彼女を慕う者は多いが恐れる者も多い。

・一ノ瀬誠


生徒会長。美登利の幼馴染。彼女に動かされているようでいて、実はいちばん恐れられている。

・綾小路高次


風紀委員長。堅物で融通が利かないが、意外な一面を持っていたりもする?

・坂野今日子


中央委員会書記。価値観のすべてを美登利を基準に置き絶対的に従っている。

・船岡和美


中央委員会兼放送部員。軽快なトークが得意。

・澤村祐也


文化部長。ピアノの達人。彼も幼い頃から美登利に心酔している。

・安西史弘


体育部長。際立った運動能力の持ち主で「万能の人」とあだ名される。性格は奇々怪々。

・森村拓己


正人の同級生で同じく寮生。美登利の信奉者。計算力が高く何事もそつなくこなす。

・片瀬修一


正人の同級生。総合的に能力が高く次期中央委員長と目される。マイペースで一見感情が鈍いようにも見えるが。

・小暮綾香


正人の同級生で調理部員。学年一の美少女。

・須藤恵


綾香の親友。大人し気な様子だが計算力が高く、けっこうちゃっかりしている。

・宮前仁


美登利と誠の幼馴染。市内の不良グループをまとめる櫻花連合の総長になるため北部高校に入学した経緯を持つ。

・錦小路紗綾


綾小路の婚約者。京都に住んでいる。

・志岐琢磨


喫茶ロータスのマスター。元櫻花連合総長。美登利たちの後ろ盾のような存在。

・中川巽


美登利の兄。初代生徒会長。「神童」「天才」と称されるものの、人間的に欠けている部分が多い。それゆえに妹との関係を拗らせてしまう。

・榊亜紀子


美大生。芸術に精魂を傾ける奇抜な性格の持ち主。

・村上達彦


巽の同級生。生い立ちと持って生まれた優秀さのせいで彼もまた拗らせている。中川兄妹に出会って一層歪んでしまう。

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