8-6.口説き文句

文字数 994文字

 そんなこんなで時が経ち、
「そろそろ開放してやるか」
 宮前がつぶやいたのを合図に拓己は自販機のところに空き缶を捨てに行った。

 その間、宮前が正人に話しかけた。
「おい池崎。いいこと教えてやろうか?」
 いたずらっこそのままの表情で宮前は続ける。
「中川の弱点。知りたいだろう?」

 それは是非とも知りたい。思いが顔に出たのだろう。宮前は強く念を押してから声を潜めた。
「いいか、俺から聞いたってことは誰にも言うなよ。あのな……」



 
 復路の新幹線で、美登利が綾小路のところにやって来た。
「紗綾ちゃん元気だった?」
「元気だな。身長が伸びたようだ」
「それはそれは」
 それだけで自分の席に戻っていった。

 往路のときと違いほとんどの生徒は寝入っていてとても静かだ。
 綾小路はしばらくの間、どんどん過ぎ去っていく窓外の風景を見ていた。

 平坦にならされたまっすぐな道を、既に見晴るかせる場所を目指して脇目も振らずに走って行くのと。
 山あり谷あり障害ありの道を、時には寄り道をしながらまだ見ぬ何かを目指して進んで行くのと。
 どちらを望むのかと問われれば、答えは決まっている。

『私と勝負しない?』
 道着姿も勇ましい長い三つ編みの髪の少女が開口一番言い放ったときから。あのときにはもう綾小路の世界は一変していたのだ。

『勝っても負けても恨みっこなしだ』
 初対面の一ノ瀬誠と対峙したとき、まるで鏡に映った自分と向かい合っているようだと思った。己を磨くことのみに終始して、まるで余裕のない目をしている。自分と同じ目だ。
 こいつとなら競い合っていける。そう思った。こいつとなら本気でやりあえる。

 ところが後日再会したときには一ノ瀬誠はすっかり変わってしまっていて、その腑抜けぶりに拍子抜けするやら腹立たしいやらで、気持ちにケリを付けるのに随分と時間を要したものだった。

『こっちに来なさいよ。後悔させないから』
 口説き文句のようなその言葉にほだされた訳ではなかったけれど、
『退屈したくないでしょう? 私たちと来るなら楽しい苦労が山積みだよ。苦労性のあんたにはぴったり』

 後半のセリフはともかく最初のフレーズは気に入った。堅物と名高い自分にそんなことを言えるのは彼女が最初で最後だろう。

「まったくもって、おまえらといると飽きないからな」
 結論は初めから出ていた。決断なら、とうにすませているのだから。
 つまりはそういうことなのだ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

・池崎正人


新入生。持ち前の行動力と運動能力で活躍するようになる。負けず嫌いで男らしい性格だが察しが悪い。

・中川美登利


中央委員会委員長。容姿の良さと性格の特異さで彼女を慕う者は多いが恐れる者も多い。

・一ノ瀬誠


生徒会長。美登利の幼馴染。彼女に動かされているようでいて、実はいちばん恐れられている。

・綾小路高次


風紀委員長。堅物で融通が利かないが、意外な一面を持っていたりもする?

・坂野今日子


中央委員会書記。価値観のすべてを美登利を基準に置き絶対的に従っている。

・船岡和美


中央委員会兼放送部員。軽快なトークが得意。

・澤村祐也


文化部長。ピアノの達人。彼も幼い頃から美登利に心酔している。

・安西史弘


体育部長。際立った運動能力の持ち主で「万能の人」とあだ名される。性格は奇々怪々。

・森村拓己


正人の同級生で同じく寮生。美登利の信奉者。計算力が高く何事もそつなくこなす。

・片瀬修一


正人の同級生。総合的に能力が高く次期中央委員長と目される。マイペースで一見感情が鈍いようにも見えるが。

・小暮綾香


正人の同級生で調理部員。学年一の美少女。

・須藤恵


綾香の親友。大人し気な様子だが計算力が高く、けっこうちゃっかりしている。

・宮前仁


美登利と誠の幼馴染。市内の不良グループをまとめる櫻花連合の総長になるため北部高校に入学した経緯を持つ。

・錦小路紗綾


綾小路の婚約者。京都に住んでいる。

・志岐琢磨


喫茶ロータスのマスター。元櫻花連合総長。美登利たちの後ろ盾のような存在。

・中川巽


美登利の兄。初代生徒会長。「神童」「天才」と称されるものの、人間的に欠けている部分が多い。それゆえに妹との関係を拗らせてしまう。

・榊亜紀子


美大生。芸術に精魂を傾ける奇抜な性格の持ち主。

・村上達彦


巽の同級生。生い立ちと持って生まれた優秀さのせいで彼もまた拗らせている。中川兄妹に出会って一層歪んでしまう。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み