30-9.なんなんだ突然

文字数 939文字

 応戦しようとしたとき、美登利が叫んだ。
「違うの! わたしがしてって言ったの」
「……」
 巽は達彦の手を放して妹に顔を近づけた。
「好きなの?」
「違う、違うよ、ただ……」
 辛そうに眉を寄せて涙ぐみながら美登利は懸命に話す。
「好きなんかじゃない、ただ……」

 巽はそっと手を上げた。殴るのかと思った。
 だけどその指でそっと妹のくちびるに触れると、黙ったまま背中を向けた。

 美登利はほうっと息を吐いて目を閉じた。
 離れていく巽を見ながら達彦は訊く。
「庇ってくれたの?」
「あなたを助けたわけじゃない。お兄ちゃんに酷いことしないでほしかっただけ」
 早口に言って美登利は立ち上がった。
「二度と私に触らないで」
 言い捨てて兄を追いかける。

 追いついた彼女がこわごわ伸ばした手を巽が握る。
 そうやってふたりは夕暮れの道を帰っていった。
 達彦に残されたのは、わずかに触れたくちびるの感触と締め上げられた手の痛みだけ。

 何かがおかしい、わかっていたことだが突き詰めるのが怖かった。
 おかしいのは母の無償の愛すら堕落したものとしか取れない捻くれた自分か、巽の盲目的な情愛か、美登利の兄への執着か。
 それらが皆おかしくて、捻じれているのか。
 それともやっぱり自分だけがいびつに歪んでいるのか。

 不意に不安と恐怖が襲う。
 そうでなければ自分には、なぜ誰もいないのだ。肯定してくれないのだ。
 痛く惨めな絶望感でその夜は眠れなかった。




「おまえは恵まれてるからって言いたいんだよね」
 巽が微笑みもなく達彦に言い出した。
「でもそれなら僕だって訊きたいよ。僕がなにを持ってるって言うんだい? 裕福で幸せな家庭? それは僕のものじゃない、僕の両親が作り上げたもので、僕の意思とは関係なく壊れるときには壊れてしまう、そういった類のものだよ。それでも君が欲しいっていうなら、お金だって家だって、あげようと思えばあげてしまえる。あの子のことだって」

 なんなんだ突然、この余裕のなさは。
 驚く達彦に向かって巽は言い募る。
「あの子が君を好きになったなら、僕はなにも言えない。あの子は君のもので僕のものじゃないんだ。そういう未来が君にはある。なんだって手に入れられる。それのなにが不満だって言うのさ」
 こいつも何かが歪んでいるんだ。
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登場人物紹介

・池崎正人


新入生。持ち前の行動力と運動能力で活躍するようになる。負けず嫌いで男らしい性格だが察しが悪い。

・中川美登利


中央委員会委員長。容姿の良さと性格の特異さで彼女を慕う者は多いが恐れる者も多い。

・一ノ瀬誠


生徒会長。美登利の幼馴染。彼女に動かされているようでいて、実はいちばん恐れられている。

・綾小路高次


風紀委員長。堅物で融通が利かないが、意外な一面を持っていたりもする?

・坂野今日子


中央委員会書記。価値観のすべてを美登利を基準に置き絶対的に従っている。

・船岡和美


中央委員会兼放送部員。軽快なトークが得意。

・澤村祐也


文化部長。ピアノの達人。彼も幼い頃から美登利に心酔している。

・安西史弘


体育部長。際立った運動能力の持ち主で「万能の人」とあだ名される。性格は奇々怪々。

・森村拓己


正人の同級生で同じく寮生。美登利の信奉者。計算力が高く何事もそつなくこなす。

・片瀬修一


正人の同級生。総合的に能力が高く次期中央委員長と目される。マイペースで一見感情が鈍いようにも見えるが。

・小暮綾香


正人の同級生で調理部員。学年一の美少女。

・須藤恵


綾香の親友。大人し気な様子だが計算力が高く、けっこうちゃっかりしている。

・宮前仁


美登利と誠の幼馴染。市内の不良グループをまとめる櫻花連合の総長になるため北部高校に入学した経緯を持つ。

・錦小路紗綾


綾小路の婚約者。京都に住んでいる。

・志岐琢磨


喫茶ロータスのマスター。元櫻花連合総長。美登利たちの後ろ盾のような存在。

・中川巽


美登利の兄。初代生徒会長。「神童」「天才」と称されるものの、人間的に欠けている部分が多い。それゆえに妹との関係を拗らせてしまう。

・榊亜紀子


美大生。芸術に精魂を傾ける奇抜な性格の持ち主。

・村上達彦


巽の同級生。生い立ちと持って生まれた優秀さのせいで彼もまた拗らせている。中川兄妹に出会って一層歪んでしまう。

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