30-11.自然なことだから

文字数 1,008文字

 欲しいものはこんな生温い現状ではない。奪いたかったのは、こんなものじゃない。 
 かつて抱いた獰猛なまでの渇望を思い起こして達彦は両手を握る。
 こんなふうに簡単に人は裏返る。絶望的なほどに。君らもそれを思い知るべきなんだ。




 心配されるまでもなく巽も達彦も受験に成功し、春から大学生活が始まった。
 長い連休だけでなく、月のうち何度かは週末にも帰省する。
 帰りの電車が同じになると達彦も美登利に出迎えてもらうことができた。
「お兄ちゃん!」
 改札の向こうで手を振る美登利がついでのようにこっちにも目線を流す。

「オトコがこれだけ頻繁に里帰りするってどうなんだろうね」
「おかしいかな?」
「村上さんだって頻度は同じだよ」
「うちは親が具合が良くないから」
 彼女の目が気遣わし気になるのに達彦は苦笑する。
 優しい子。だから自分みたいな人間に付け込まれる。

 それはそうと達彦は兄妹の変化にも気がついていた。
 べったりなのは前からだがかもし出す空気が明らかに変わった。
 春の日差しの暖かさの中にも甘やかさが増して、見知らぬ他人から見たらまるで恋人のようだ。

「会えない時間が愛育てるのさ」という名フレーズをまざまざと証明され達彦は内心冷や汗を流す。
 恋人つなぎを始めたときには倒れそうになった。おそらく本人たちに自覚はない。それが自然なことだから。

 どうなんだろうね、これ。
 しれっとしている巽の前でその行状を暴露してやりたい。
 地元を離れたのをいいことに「それはできないなあ」と全否定だった行いを実践しまくっていることを知ったら、美登利はどんな顔をするだろう。
 そうは思っても自分の素行の方が格段に悪いから達彦は口を噤むしかない。知られたら間違いなく虫けらを見るような眼で見られる。

 とはいえ、これで巽が聖人君子などではなく男であることがわかったわけで、同じ男として達彦は疑問に思わずにいられない。
 どういうつもりなのか。この子をどうしたいのか。

 間もなく、ある意味その答えは出た。巽が二年間の留学を決めたのだ。
 家族でさえ寝耳に水であるらしく美登利はずっと落ち込んでいた。
 海外ではそうそう帰ってくるわけにはいかなくなる。本人がどういうつもりかなんて知らないが、これで物理的な距離が壁となって兄妹の間に生じることになる。これを歓迎している男は達彦だけではないはずだ。

 そして、そんな浅はかさを嘲笑うように、彼女の転落がここから始まる。
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登場人物紹介

・池崎正人


新入生。持ち前の行動力と運動能力で活躍するようになる。負けず嫌いで男らしい性格だが察しが悪い。

・中川美登利


中央委員会委員長。容姿の良さと性格の特異さで彼女を慕う者は多いが恐れる者も多い。

・一ノ瀬誠


生徒会長。美登利の幼馴染。彼女に動かされているようでいて、実はいちばん恐れられている。

・綾小路高次


風紀委員長。堅物で融通が利かないが、意外な一面を持っていたりもする?

・坂野今日子


中央委員会書記。価値観のすべてを美登利を基準に置き絶対的に従っている。

・船岡和美


中央委員会兼放送部員。軽快なトークが得意。

・澤村祐也


文化部長。ピアノの達人。彼も幼い頃から美登利に心酔している。

・安西史弘


体育部長。際立った運動能力の持ち主で「万能の人」とあだ名される。性格は奇々怪々。

・森村拓己


正人の同級生で同じく寮生。美登利の信奉者。計算力が高く何事もそつなくこなす。

・片瀬修一


正人の同級生。総合的に能力が高く次期中央委員長と目される。マイペースで一見感情が鈍いようにも見えるが。

・小暮綾香


正人の同級生で調理部員。学年一の美少女。

・須藤恵


綾香の親友。大人し気な様子だが計算力が高く、けっこうちゃっかりしている。

・宮前仁


美登利と誠の幼馴染。市内の不良グループをまとめる櫻花連合の総長になるため北部高校に入学した経緯を持つ。

・錦小路紗綾


綾小路の婚約者。京都に住んでいる。

・志岐琢磨


喫茶ロータスのマスター。元櫻花連合総長。美登利たちの後ろ盾のような存在。

・中川巽


美登利の兄。初代生徒会長。「神童」「天才」と称されるものの、人間的に欠けている部分が多い。それゆえに妹との関係を拗らせてしまう。

・榊亜紀子


美大生。芸術に精魂を傾ける奇抜な性格の持ち主。

・村上達彦


巽の同級生。生い立ちと持って生まれた優秀さのせいで彼もまた拗らせている。中川兄妹に出会って一層歪んでしまう。

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