40-4.「負けませんから」
文字数 1,141文字
「いらっしゃいませ」
手の泡を流しながら顔を上げた美登利は少し驚いた。
小暮綾香がずかずか彼女に迫ってきた。
「わたし、負けませんから」
「……」
「あなたみたいな悪魔にむざむざ彼を渡したりしない。必ず取り戻します」
「そう」
水を止めて手を拭きながら美登利はにっこり微笑んだ。
「なら、やってみせたら?」
「……失礼します」
入ってきたときと同じ勢いで綾香は出ていった。
新聞の影で肩を震わせていた達彦が、こちらも勢いよく笑いを吐き出す。
「すごいな。あれ、池崎の元カノ?」
新聞を持って笑いながらカウンター席に座る。
「悪魔だって、その通りだろ。いやあ、すごいすごい」
ぐしゃぐしゃにしてしまった新聞を伸ばしながら達彦はにやりとする。
「ありゃあ、いい女だ。子どもを守る母親狼みたいで俺は好きじゃないけど」
「たいていの人はああいう子が好きでしょう」
「それで、この悪魔はむざむざ奴を放したりしないよな」
「雪の女王も『石の花』の鉱山の女王も、最後にはカイやダニーロを迎えに来た娘に返してしまうんですよ」
「君もいずれ奴を戻すの?」
美登利は黙って瞳を伏せた。
一ノ瀬誠が自宅近くの芝生広場に着くと、池崎正人がベンチから立ち上がった。
「すみません。宮前さんに呼び出し頼んだりして」
「いいよ」
ため息交じりに誠は答える。宮前もすっかり正人にほだされているようだ。仕方がない。
「一ノ瀬さんがいない間にこそこそしたことはしたくない。だから言っておきます。おれはあなたと戦います。中川先輩が好きだから」
まったく、と誠は薄く嗤いながらベンチに座る。
「堂々と宣戦布告してきたのは君が初めてだよ」
正人を見上げて笑って見せる。
「いいよ。好きにやってごらんよ。でも言っておく。あいつが君に靡いたとしても、自分のものになっただなんて思わない方がいいよ。あの女は少し目を放すと、いいや、目の前でだって蝶々みたいにふらふらふらふらどこかへ飛んでいく」
蝶々みたいに。その言葉で正人は気がつく。
彼女がいつも大切に身につけているものはみんな、この人が贈ったものなんだ。あの自分と同じオーナメントも。
悔しいのか哀しいのか、正人は顔をしかめて言い返す。
「そんな言い方」
「だって本当のことなんだよ。俺はあいつを信じていない。君だって今に思い知るよ。好きなことと信じることは違う」
「……」
「だからあいつがなにをしでかそうが覚悟はできてる。でも勘違いしないでほしい。俺は取られたら取り返す。最後に一緒にいられればそれでいい」
伏し目がちに言い切って誠は再び笑う。
「澤村くんはね、十年ねばって諦めたんだよ。君はそんなに時間を無駄にできないだろ? 早く気がつけばいい。あの女といたっていいことなんてなにもない」