30-12.到底理解できない

文字数 959文字

 月に一度か二度しか会わない達彦にとってはその変化は明らかで、毎日一緒にいる幼馴染たちはまた違う印象を持っていたかもしれない。あるいは彼らの前では変わらずにいるのかもしれない。

 達彦が見かける美登利はいつも一人でぼんやりとしていた。
 頬から快活な笑みが消え、まるでしおれてしまった花のよう。散ることもなく、ただ憐れに醜く。
 そしてみるみる消耗していくのがわかった。

 巽は帰ってこない。冬にも春にも帰ってはこなかった。
 そのうち美登利は河原の芝生で分厚い本を読むようになった。

「なにもしてないと時間が長くて、嫌なことばかり考える。そしたらお父さんが本を読めって」
「それで世界文学全集?」
 子ども向けな簡易版ではない。それを美登利は順番に読破するつもりのようだ。
「難しくて時間がかかる方がいいよ」
 そして、どこを見ているともわからない瞳でつぶやく。
「全部読み終わる前に、帰ってくるかなあ」

 一度駅前で級友たちに囲まれた彼女を見かけた。やはり普通に笑っている。
 馬鹿だなあ、強がって我慢するからもっと苦しくなるんだよ。
 達彦にとっては思うつぼだった。




 霧雨に煙る蒸し暑い日、美登利は東屋の下で本を読んでいた。
「お、チェーホフだ。『かわいい女』読んだ?」
 美登利は頷く。
「感想は?」
「やな感じ」
 達彦は笑う。
「オーレンカってさ、うちの母親そっくり」
 愚かで純粋。愛なしには生きられないかわいい女。与えて与えて、なにが得られるというのか、達彦には到底理解できない。

「今度さ、話したいことあるんだけど。聞いてくれる?」
「なんですか?」
「今度」
 眉をひそめる彼女の瞳に今は達彦が映っている。

「達彦?」
 霧雨のカーテンの向こうから声が潜り抜けてきた。母親だ。いないと思ったら買い物に出ていたらしい。
「馬鹿だよなあ、こんな雨の日に」
 やれやれと達彦は腰を上げる。
「また今度」
 美登利は眉をひそめたまま達彦を見送った。




 次に会えたのは梅雨の合間の五月晴れの夕刻だった。
 美登利は河原の土手の石段の段差に腰かけて対岸のホテルのウィンドウを眺めている。
「読書は?」
「飽きちゃった」
 悪びれずに笑って言う。
「三十巻まで頑張ったよ」
「……兄貴はなんで帰ってこないんだろうね?」
「さあ」
 どうでもいいふうに相槌を打って見せるけど、明らかに瞳が陰る。
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登場人物紹介

・池崎正人


新入生。持ち前の行動力と運動能力で活躍するようになる。負けず嫌いで男らしい性格だが察しが悪い。

・中川美登利


中央委員会委員長。容姿の良さと性格の特異さで彼女を慕う者は多いが恐れる者も多い。

・一ノ瀬誠


生徒会長。美登利の幼馴染。彼女に動かされているようでいて、実はいちばん恐れられている。

・綾小路高次


風紀委員長。堅物で融通が利かないが、意外な一面を持っていたりもする?

・坂野今日子


中央委員会書記。価値観のすべてを美登利を基準に置き絶対的に従っている。

・船岡和美


中央委員会兼放送部員。軽快なトークが得意。

・澤村祐也


文化部長。ピアノの達人。彼も幼い頃から美登利に心酔している。

・安西史弘


体育部長。際立った運動能力の持ち主で「万能の人」とあだ名される。性格は奇々怪々。

・森村拓己


正人の同級生で同じく寮生。美登利の信奉者。計算力が高く何事もそつなくこなす。

・片瀬修一


正人の同級生。総合的に能力が高く次期中央委員長と目される。マイペースで一見感情が鈍いようにも見えるが。

・小暮綾香


正人の同級生で調理部員。学年一の美少女。

・須藤恵


綾香の親友。大人し気な様子だが計算力が高く、けっこうちゃっかりしている。

・宮前仁


美登利と誠の幼馴染。市内の不良グループをまとめる櫻花連合の総長になるため北部高校に入学した経緯を持つ。

・錦小路紗綾


綾小路の婚約者。京都に住んでいる。

・志岐琢磨


喫茶ロータスのマスター。元櫻花連合総長。美登利たちの後ろ盾のような存在。

・中川巽


美登利の兄。初代生徒会長。「神童」「天才」と称されるものの、人間的に欠けている部分が多い。それゆえに妹との関係を拗らせてしまう。

・榊亜紀子


美大生。芸術に精魂を傾ける奇抜な性格の持ち主。

・村上達彦


巽の同級生。生い立ちと持って生まれた優秀さのせいで彼もまた拗らせている。中川兄妹に出会って一層歪んでしまう。

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