36-3.「認めるのが怖かった」
文字数 939文字
「そうですか」
「誘ってるんだけど」
「それならはっきり言ってくれなきゃ」
「僕と一緒に、コーヒーを、飲みに行って、ください」
「……」
「暇なんだろ」
はっきり言って面倒だ。だがしかし暇なのも事実である。
美登利は黙って頷いた。
「お仕事は?」
「終わった」
「優雅ですね」
「やることさえやってれば自由が利く会社を選んだからね」
「お母様は……」
「最近は落ち着いてるよ」
「だから余裕があるんですね」
「どういう意味?」
美登利は黙って笑っている。
油断をすれば思わぬ方向から切り込んでくる。気が抜けない。
「制服、懐かしいな」
「そうですか」
「彼氏、元気?」
「そうですね」
「巽は?」
「さあ」
この野郎。
「顔に書いてありますよ」
にっこり笑って突っ込んでくる。
「もしかして遊んでる?」
「さあ」
澄ましてつぶやいた美登利だったが運ばれてきたコーヒーに表情が変わった。
「いい香り」
「だろう?」
「うわあ、すごい。なんでだろう? 色も澄んでてとってもキレイ。タクマの泥水みたいのとは全然違う」
「あれはあれで才能だよな。どうしてあそこまで不味くなるのか」
「コーヒーの概念が変わった」
じいっとカップの液体に視線を注いだまま美登利は真剣だ。
「ロータスのコーヒーが美味しくなったらみんな嬉しいかな」
目を閉じて、一口含む。
「美味しい」
洗練されたコーヒーカップと美少女、とても絵になる。
「でも村上さんはタクマの不味いコーヒーが好きなんだよね」
この悪魔。
夜の自由時間になって、売店の脇の自販機で水を買っていると小暮綾香に会った。
「夕食のお鍋、おいしかったね」
「ああ」
ぽつりぽつりと少し話をした後、正人は言った。
「大事な話があ……」
「聞きたくない!」
大きな声にまわりにいた同級生たちがびっくりする。
綾香はうろたえて逃げていってしまう。正人はそれを追いかけた。
エレベータの脇の階段を上がっていく綾香を踊り場で引き留める。
「おれが悪い! わかってるから聞いてくれ」
「わかってるってなにが」
「最初から、おれが悪かったんだ」
正人は俯きもしないでじっと綾香を見て話す。
「おれがちゃんとしなかったから。本当は、あのときにだってわかってたはずなのに認めるのが怖かった」