29-4.笑って、さよならを

文字数 1,158文字

 窓の外から本多崇の演説の声が聞こえてくる。
「頑張ってるな」
 そこでようやく美登利は体を起こす。
「うん」

 ――若者には試練が必要だろう。
 そう言ったのは安西だったか。
 乗り越える力があると評価されてこそ試練は用意される。彼らにはもう十分その力がある。
 予想していたよりこんなに早く、そのときを迎えてしまった。
「頑張って、成し遂げて」
 そして笑ってお別れするのだ。笑って、さよならを言うのだ。




 行けるという手ごたえはあったが、結果が出るまでは確信は持てなかった。
 当選が確定したときの爆発的な歓声、涙ぐんだ本多、汗をぬぐうような仕草を見せた片瀬、なんとも言えない表情で唇を引き結んだ拓己。抱き合って喜ぶ小暮綾香と須藤恵。祝福しあう運動員たち。

 そんな光景の向こうでただ瞳を伏せた中川美登利の表情を、正人はきっとずっと忘れないだろうと思った。
 顔を隠すように手を翳した彼女は黙ってそこから姿を消した。

 万歳三唱をする本多陣営の様子を眺めながら安西が感心する。
「ほんとに勝っちゃったねえ」
「あいつらも別に手加減したわけではないからな」
「これで皆が思い知っただろうさ」
 扇子の先を顎にあてて安西は目を輝かせる。
「初代や三大巨頭のような逸材がいなくても、理想を実現することはできる。これこそが『自由・自主・自尊』の精神だってね!」

 良く晴れた梅雨の合間の青空を見上げて安西は続ける。
「理事長も初代もおもしろい学校を作ってくれたものだよね。そしてここまで盛り立ててくれた彼らにも賛辞を贈るよ」
 お疲れ様。決して当人たちの前では言わないであろう一言を、安西は空に向かって差し出した。




(終わったね)
 体育館から響いてくる歓声を音楽室で聞きながら、澤村祐也はピアノの蓋を持ち上げた。
(ね、君が望んだ通りになったでしょう)
 ここには来ない彼女に向けて語りかける。
(だって、そういうふうにできているから)
 世界はきっと、君の思う通りになる。君はそういう人だから。

『デスペラード』
 だからもう、フェンスを下りて、門を開けて。頭の上には虹だってあるから。
(もう楽になって)
 大好きな人。それだけを願うから。




「池崎、大人になったよな」
「は?」
「美登利さんの挑発にわかってて乗っただろう」
 黙る正人を拓己は冷たいような目つきで見る。
「変わったな、おまえも」

 だって、わかってしまったから。
(それがあなたの望みなら)
 叶えなくては、と思ってしまった。
 きっとみんなが同じ気持ちなんだ。やっと自分にもわかった気がした。
 そばにいられるはずもない。ならばせめて願いを叶えるから。
 それだけを、証に替えて。




 ここで発足された本多政権は、長く続いた一ノ瀬独裁政権を打破した革命政権として生徒会史にその名を残すことになる。
 だがそれも、ずっとずっと後のこと。
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登場人物紹介

・池崎正人


新入生。持ち前の行動力と運動能力で活躍するようになる。負けず嫌いで男らしい性格だが察しが悪い。

・中川美登利


中央委員会委員長。容姿の良さと性格の特異さで彼女を慕う者は多いが恐れる者も多い。

・一ノ瀬誠


生徒会長。美登利の幼馴染。彼女に動かされているようでいて、実はいちばん恐れられている。

・綾小路高次


風紀委員長。堅物で融通が利かないが、意外な一面を持っていたりもする?

・坂野今日子


中央委員会書記。価値観のすべてを美登利を基準に置き絶対的に従っている。

・船岡和美


中央委員会兼放送部員。軽快なトークが得意。

・澤村祐也


文化部長。ピアノの達人。彼も幼い頃から美登利に心酔している。

・安西史弘


体育部長。際立った運動能力の持ち主で「万能の人」とあだ名される。性格は奇々怪々。

・森村拓己


正人の同級生で同じく寮生。美登利の信奉者。計算力が高く何事もそつなくこなす。

・片瀬修一


正人の同級生。総合的に能力が高く次期中央委員長と目される。マイペースで一見感情が鈍いようにも見えるが。

・小暮綾香


正人の同級生で調理部員。学年一の美少女。

・須藤恵


綾香の親友。大人し気な様子だが計算力が高く、けっこうちゃっかりしている。

・宮前仁


美登利と誠の幼馴染。市内の不良グループをまとめる櫻花連合の総長になるため北部高校に入学した経緯を持つ。

・錦小路紗綾


綾小路の婚約者。京都に住んでいる。

・志岐琢磨


喫茶ロータスのマスター。元櫻花連合総長。美登利たちの後ろ盾のような存在。

・中川巽


美登利の兄。初代生徒会長。「神童」「天才」と称されるものの、人間的に欠けている部分が多い。それゆえに妹との関係を拗らせてしまう。

・榊亜紀子


美大生。芸術に精魂を傾ける奇抜な性格の持ち主。

・村上達彦


巽の同級生。生い立ちと持って生まれた優秀さのせいで彼もまた拗らせている。中川兄妹に出会って一層歪んでしまう。

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