28-4.少しずつでも

文字数 967文字




「この前さ、村上と会った」
 正人が帰ってしまった後、不味いコーヒーをすすりながら勇人が言った。
「近くで就職したみたいだな」
「ねえ。あいつてっきり、官僚にでもなるのかと思ってたのにびっくりだよ。あっちもこっちも商社マンで商談の席でコンニチハだったからさ。あっちが無視するからこっちもそうしておいた」
「そうか」
「巽の妹と付き合ってなかった?」
「奴が付きまとってただけだ」

 店の電話が鳴って琢磨が出る。
「よう。まだこっちにいるのか。……あ? 知らないし、来てねえよ。……知るかよ、いいからおめえはとっとと帰れ、女が待ってんだろ。……知るか馬鹿。てめえの胸に訊いてみやがれ」
 がちゃんと乱暴に受話器を戻す。

「噂をすれば巽?」
「おう。悪いがもう閉店だぜ。用ができた」
 勇人は肩を竦めてほとんど減っていないコーヒーのカップを置いた。




 別れ際、ストールはクリーニングに出して返すと言った美登利に唯子は笑って首を振った。
「あげるよ。よかったらもらって」
「そんな、お気に入りだって」
「だからあげるんだよ」
 びっくりして言葉が出なかった。
「美登利さんに似合ってる」
「……ありがとう」

 唯子はすごい。美登利は思う。自分だったらお気に入りのものを人に譲ったりなんかしない。絶対に手放さない。それは、
(欲が深いから?)
 ひとりで海岸に座って水平線を眺めながら考える。

 自分は欲深いのだろうか。いつかは放さなければならないことはわかっていた。それなのにいつまでもこだわって心から離れないのは、放したくないと思っているからだろうか。
 心の底では誰かに盗られるだなんて思っていなかったのだろうか。だからこんなに傷ついたのだろうか。もう、傷つくことはないと思っていたのに。

「よお。昭和の女みたいだな」
 琢磨だった。
「なんだ、また泣いてるのか」
 しょうがねえなあと隣に座る。冷たい缶コーヒーをくれた。
「仕様がないよね、いつまでこんななんだろう」
「なに、少しずつでもマシにはなってるだろうさ」
 そうかもしれない。少なくとも兄の前では泣かずにすんだ。

「タクマ、ぎゅってして」
 しょうがねえなあと片腕を伸ばして肩を抱いてくれた。兄とも誠とも違う男臭い腕だ。だから逆に安心できる。
 心はいつか想い出に変わる。まだ少し時間がかかるだけ。大丈夫、大丈夫。
 何度も自分に言い聞かせた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

・池崎正人


新入生。持ち前の行動力と運動能力で活躍するようになる。負けず嫌いで男らしい性格だが察しが悪い。

・中川美登利


中央委員会委員長。容姿の良さと性格の特異さで彼女を慕う者は多いが恐れる者も多い。

・一ノ瀬誠


生徒会長。美登利の幼馴染。彼女に動かされているようでいて、実はいちばん恐れられている。

・綾小路高次


風紀委員長。堅物で融通が利かないが、意外な一面を持っていたりもする?

・坂野今日子


中央委員会書記。価値観のすべてを美登利を基準に置き絶対的に従っている。

・船岡和美


中央委員会兼放送部員。軽快なトークが得意。

・澤村祐也


文化部長。ピアノの達人。彼も幼い頃から美登利に心酔している。

・安西史弘


体育部長。際立った運動能力の持ち主で「万能の人」とあだ名される。性格は奇々怪々。

・森村拓己


正人の同級生で同じく寮生。美登利の信奉者。計算力が高く何事もそつなくこなす。

・片瀬修一


正人の同級生。総合的に能力が高く次期中央委員長と目される。マイペースで一見感情が鈍いようにも見えるが。

・小暮綾香


正人の同級生で調理部員。学年一の美少女。

・須藤恵


綾香の親友。大人し気な様子だが計算力が高く、けっこうちゃっかりしている。

・宮前仁


美登利と誠の幼馴染。市内の不良グループをまとめる櫻花連合の総長になるため北部高校に入学した経緯を持つ。

・錦小路紗綾


綾小路の婚約者。京都に住んでいる。

・志岐琢磨


喫茶ロータスのマスター。元櫻花連合総長。美登利たちの後ろ盾のような存在。

・中川巽


美登利の兄。初代生徒会長。「神童」「天才」と称されるものの、人間的に欠けている部分が多い。それゆえに妹との関係を拗らせてしまう。

・榊亜紀子


美大生。芸術に精魂を傾ける奇抜な性格の持ち主。

・村上達彦


巽の同級生。生い立ちと持って生まれた優秀さのせいで彼もまた拗らせている。中川兄妹に出会って一層歪んでしまう。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み