26-5.知らないままでいい

文字数 988文字

 多分美登利は自分が言ったことなど忘れているだろう。正人が気にかけていることなどわかっていないだろう。
 冬の選挙戦のときにだって本当は言いたかった。どうしてそんなにひどいことをするのかと。
 言っても恐らく美登利は「あなたには関係ない」と言っただろう。

 関係なくなんてない。正人は言ってやりたい。
 だって、彼女が言ったのだ。
 ――あなたが私を止めて。
 あの言葉が、自分を絡めとって放さない。
 いいや、本当はもっと前から。

 ――でも僕時々思うんだ。美登利さんはそうやって、いつもギリギリのところにいるんじゃないかって。
 ――なんのことだよ。
 本当は、正人もうすうす感じていた。その危うさ、不安定さ、いつ決壊するとも知れない激流を見ているような感覚、それでいて凪いだ水面のように穏やかなときもあって。
 見事なまでのアンビバレンス。安定した不安定。

 本当はみんなが気づいている。だけど触れられない、止められない。
 宮前や、一ノ瀬誠でさえも。

 自分は、どうしてなんて知らない。理由なんか知らない。なにも知らない。
 ――そこがあなたのいいところかもね。
 そう言ってくれたから、知らないままでいい。知ろうとなんかしない。
 だからこそ、できることがある。
 ――私を止めて。




 結局その日はセレクトは現れなかった。
「やられたな。無駄足か」
「しかしこれで的はうちに絞られたってことだよね」
「西城はプロにがっちり守られてるらしいからな。さすがにあっちには行かないだろう」

「タクマさんとこ行って明日からのこと話そうぜ」
「あ、ボクは学校行って尾上と話してくるから。詳しいことはまた月曜に」
 河原道で安西を見送り、美登利は正人を振り返った。
「池崎くんは私たちと来て。紹介しておきたいの」

 喫茶ロータスで正人は初めてその男に会った。
「志岐ってもんだ。よろしく」
(でかい)
 平山和明ほど背はないが、横にもがっしりしている。ロゴの入った赤いエプロンがまったく似合っていない。

 出されたコーヒーを一口飲んで、正人はこれまたびっくりした。
(不味い)
 げし、とテーブル席の向かいでカップを持った宮前に足を蹴られた。黙って飲めと目で脅される。
 正人はなんとかその液体を飲み込んだ。これは少しずつでなければとても飲めない。

「ほれ、美登利。これ食え」
 カウンターに突っ伏している美登利に琢磨はチョコレートパフェを差し出した。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

・池崎正人


新入生。持ち前の行動力と運動能力で活躍するようになる。負けず嫌いで男らしい性格だが察しが悪い。

・中川美登利


中央委員会委員長。容姿の良さと性格の特異さで彼女を慕う者は多いが恐れる者も多い。

・一ノ瀬誠


生徒会長。美登利の幼馴染。彼女に動かされているようでいて、実はいちばん恐れられている。

・綾小路高次


風紀委員長。堅物で融通が利かないが、意外な一面を持っていたりもする?

・坂野今日子


中央委員会書記。価値観のすべてを美登利を基準に置き絶対的に従っている。

・船岡和美


中央委員会兼放送部員。軽快なトークが得意。

・澤村祐也


文化部長。ピアノの達人。彼も幼い頃から美登利に心酔している。

・安西史弘


体育部長。際立った運動能力の持ち主で「万能の人」とあだ名される。性格は奇々怪々。

・森村拓己


正人の同級生で同じく寮生。美登利の信奉者。計算力が高く何事もそつなくこなす。

・片瀬修一


正人の同級生。総合的に能力が高く次期中央委員長と目される。マイペースで一見感情が鈍いようにも見えるが。

・小暮綾香


正人の同級生で調理部員。学年一の美少女。

・須藤恵


綾香の親友。大人し気な様子だが計算力が高く、けっこうちゃっかりしている。

・宮前仁


美登利と誠の幼馴染。市内の不良グループをまとめる櫻花連合の総長になるため北部高校に入学した経緯を持つ。

・錦小路紗綾


綾小路の婚約者。京都に住んでいる。

・志岐琢磨


喫茶ロータスのマスター。元櫻花連合総長。美登利たちの後ろ盾のような存在。

・中川巽


美登利の兄。初代生徒会長。「神童」「天才」と称されるものの、人間的に欠けている部分が多い。それゆえに妹との関係を拗らせてしまう。

・榊亜紀子


美大生。芸術に精魂を傾ける奇抜な性格の持ち主。

・村上達彦


巽の同級生。生い立ちと持って生まれた優秀さのせいで彼もまた拗らせている。中川兄妹に出会って一層歪んでしまう。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み