38-5.「それって嫉妬?」

文字数 944文字

 聞いたことのない低い声色にびくっと綾香は肩を震わせる。
 ゆっくりと美登利が近づいてくる。逆光で顔が暗い。
「私がキライ? 憎たらしい? 殴りたい? 絞め殺したかったりする?」
「なに言って……」
「だって、そういうことでしょう。あなたの物を盗った私が憎いんでしょう? だったらほら、好きにしていいよ」
「……」
「殴る? 蹴る? なんなら、ここから突き落とす? やってもいいよ、ほら」

 階段側に回った美登利に光が差して、その表情がよく見えるようになる。
 笑っていた、満面の笑顔で。
「ね、避けたりしないから。蹴り落としてみなよ。それですっきりするかもよ」
 なにを言ってるんだ、この人は。先程までの怒りは吹き飛んでしまった。
 綾香はもう恐怖しか感じられない。

 ぺたんとへたり込んでしまった綾香に、美登利はつまらなそうに眉をひそめた。
「なんだ、やらないの?」
 うんざりした顔になって嘲りの色を目に浮かべる。
「できもしないのに突っかかってこないで」
 囁いて階段を下りていった。

 残された綾香の額は汗でいっぱいだった。
(なんなの、あの人?)
 正人はどうして、
(あんな人を好きになったの?)




 そういうことかと得心がいって美登利は校舎を出る。
 メラメラ燃えるのばかりが嫉妬ではなく、血の気が引いて凍りついたようになるのもそうなのだ。
 怒りと同じ。度合いは後者の方がはるかに高い。

 つまり自分は、落ち着いたのではなくメーターを振り切ってマヒしてわからなくなっていたということだ。
 なんて仕様のない。つくづく自分が嫌になる。

 ――わたしのです。
 言える綾香が羨ましい。好きという感情に対して彼女は素直で揺るぎがない。
 尽くして注いでそっと寄り添う。誰だってそんなかわいい女がいいに決まってる。
 心配しなくても正人は戻ると教えてやれば良かっただろうか。

 考えながら大通りを歩いていたら、脇に黒塗りの車が止まった。
 後部座席のウィンドウが下りて固く冷たい顔立ちの初老の婦人が顔を出す。

「お乗りなさい、美登利さん」
「なぜ?」
「話があるのよ。お乗りなさい」
 西城学園理事長、城山千重子。青陵学院理事長城山苗子の実の姉だ。
「無理矢理引きずり込まれたいの? 早くなさい」
 どうにもこうにも面倒だ。
 美登利は言われた通りにした。
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登場人物紹介

・池崎正人


新入生。持ち前の行動力と運動能力で活躍するようになる。負けず嫌いで男らしい性格だが察しが悪い。

・中川美登利


中央委員会委員長。容姿の良さと性格の特異さで彼女を慕う者は多いが恐れる者も多い。

・一ノ瀬誠


生徒会長。美登利の幼馴染。彼女に動かされているようでいて、実はいちばん恐れられている。

・綾小路高次


風紀委員長。堅物で融通が利かないが、意外な一面を持っていたりもする?

・坂野今日子


中央委員会書記。価値観のすべてを美登利を基準に置き絶対的に従っている。

・船岡和美


中央委員会兼放送部員。軽快なトークが得意。

・澤村祐也


文化部長。ピアノの達人。彼も幼い頃から美登利に心酔している。

・安西史弘


体育部長。際立った運動能力の持ち主で「万能の人」とあだ名される。性格は奇々怪々。

・森村拓己


正人の同級生で同じく寮生。美登利の信奉者。計算力が高く何事もそつなくこなす。

・片瀬修一


正人の同級生。総合的に能力が高く次期中央委員長と目される。マイペースで一見感情が鈍いようにも見えるが。

・小暮綾香


正人の同級生で調理部員。学年一の美少女。

・須藤恵


綾香の親友。大人し気な様子だが計算力が高く、けっこうちゃっかりしている。

・宮前仁


美登利と誠の幼馴染。市内の不良グループをまとめる櫻花連合の総長になるため北部高校に入学した経緯を持つ。

・錦小路紗綾


綾小路の婚約者。京都に住んでいる。

・志岐琢磨


喫茶ロータスのマスター。元櫻花連合総長。美登利たちの後ろ盾のような存在。

・中川巽


美登利の兄。初代生徒会長。「神童」「天才」と称されるものの、人間的に欠けている部分が多い。それゆえに妹との関係を拗らせてしまう。

・榊亜紀子


美大生。芸術に精魂を傾ける奇抜な性格の持ち主。

・村上達彦


巽の同級生。生い立ちと持って生まれた優秀さのせいで彼もまた拗らせている。中川兄妹に出会って一層歪んでしまう。

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