38-9.「離れたくない」
文字数 829文字
「志岐さん、蛍光灯替えてくれよ」
「私行くよ」
向かいの並びの鞄店に脚立を持って向かっていると、学校帰りの池崎正人が飛んで来た。
「おれがやります」
「いいのに」
「おれがやる」
脚立をおさえている美登利に、作業しながら正人が言った。
「この後少し外出れる?」
「いいよ、タクマに言ってくる」
一度戻って片づけをしてから、エプロンの上にコートを羽織った格好で正人と歩いた。
「先輩いつの間に進路決まったの」
「かれこれ一週間前?」
「教えてくれないから」
「まあ、予定通りだよ」
イベント広場では北部高の生徒たちがたむろしていた。
顔見知りの櫻花メンバーが手を振ってきたが宮前はいない。彼も総長は引退だ。
「なんだか寂しいなあ」
「なに言ってるの」
「楽しかったんだよなって思って。先輩たちめちゃくちゃでびっくりすることばかりだったけど、楽しかった」
広場の脇の遊歩道からレンガを敷いて整備された河川敷に出る。寮への帰り道の芝生の河川敷の対岸になる。
段差に座っていつもとは違う景色を眺めた。
「見る角度が変わると新鮮だよね、物も景色も」
「人もだよ」
「そうだねえ、深いこと言うようになったね、池崎くん」
「思い知ったんだ」
あなたのせいで。上辺だけを見ているだけじゃなにも始まらない。
わかっていた風だった家庭の事情をまるでわかっていなかったり、友だちだと思っていた相手に裏の顔があったり、自分が誰を好きなのかさえわかっていなかった。
努力をしていなかった。
でもそれだって、あなたが「知らなくていい」と言うのなら、そういうふうにする。なにも知らない自分でいる。
どんなふうにでもなる。
「離れたくない」
「え?」
「先輩と離れたくない」
「どうしたの、急に」
「あなたが見ていてくれなきゃ駄目なんだ」
吐き出した正人に身じろぎして美登利が青ざめる。見開いた瞳に自分が映っている。
それを覗き込みながら正人は告げる。
「あなたのことが好きだから」
すうっと頬を蒼白にして、美登利は表情を凍りつかせた。