5-2.喫茶「ロータス」

文字数 949文字




 夏休みも後半を迎えてしまったある日の夕方。一ノ瀬誠は自宅のリビングで目を覚ました。今日も午睡をむさぼってしまったらしい。

「あんたまた夜眠れなくなるわよ」
 母親が呆れたように言う。
「そう思うなら起こしてよ」
「これ中川さんちに持ってって。お父さんのお土産。おすそわけにって」
「ん……」
「昨日から巽くんが帰省してるらしいわよ。夕飯の買い物で会ったとき幸絵さんそりゃもう張り切ってて」
「……」
「みどちゃんは会えないのねえ」

 一応着替えをして家を出た。いわゆる閑静な住宅街。中川家は同じ通りの公園の向こう側だ。

 まだまだ日の高い夏の夕刻。なだらかな芝生の丘が広がる大型広場では子どもたちが走り回っている。
 道路の反対側からでもひときわ目立つイチョウの木。あの大木の枝に引っかかったバドミントンのシャトルを取ろうと宮前仁が木に登り大騒ぎになったのは、何歳の頃だったか。

「あら誠くん。わざわざありがとう」
 誠の母も若く見える方だが中川家の母親は更に見た目が若い。少女のような印象のかわいらしい女性だ。
 この人から天使みたいに美しい女の子が生まれたときは誰もが納得したという。昔昔の話だ。

「ああ、誠くん」
「巽さん」
 中川巽がシャツを羽織りながら玄関に出てきた。
「これから志岐さんの店に行くんだけど一緒に来てくれない?」

「巽さん、お夕飯は?」
「いらないです。ごめんなさい。帰り遅くなるようなら連絡するから」
「誠くんも出かけるならお母さんに言うのよ」
「はい」
 巽に背中を押されながら誠は肩越しに幸絵に返事をした。



 駅前商店街のはずれにある喫茶「ロータス」は今日も閑古鳥が鳴いていた。なにしろ客は店主の身内ともいうべき宮前仁だけであったから。

「おう、来たな」
 志岐琢磨は相も変わらず似合わないエプロン姿でカウンターの向こうからふたりを出迎えた。

「なんでおまえがいるんだ」
 宮前の隣に腰かけながら誠が言う。
「昼飯食べに来たら巽さんが来るっていうから待ってたんだよ。そういうおまえこそ」
「ちょうどうちに来たから付き合ってもらったんだよ」

 奥から宮前、誠、巽の順に横並びにカウンターに座る。
「飲むか?」
「いえ、とりあえずコーヒーで」
「おう。全員コーヒーでいいな?」
 客のオーダーを勝手に決めてしまうのもこのマスターの特徴だ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

・池崎正人


新入生。持ち前の行動力と運動能力で活躍するようになる。負けず嫌いで男らしい性格だが察しが悪い。

・中川美登利


中央委員会委員長。容姿の良さと性格の特異さで彼女を慕う者は多いが恐れる者も多い。

・一ノ瀬誠


生徒会長。美登利の幼馴染。彼女に動かされているようでいて、実はいちばん恐れられている。

・綾小路高次


風紀委員長。堅物で融通が利かないが、意外な一面を持っていたりもする?

・坂野今日子


中央委員会書記。価値観のすべてを美登利を基準に置き絶対的に従っている。

・船岡和美


中央委員会兼放送部員。軽快なトークが得意。

・澤村祐也


文化部長。ピアノの達人。彼も幼い頃から美登利に心酔している。

・安西史弘


体育部長。際立った運動能力の持ち主で「万能の人」とあだ名される。性格は奇々怪々。

・森村拓己


正人の同級生で同じく寮生。美登利の信奉者。計算力が高く何事もそつなくこなす。

・片瀬修一


正人の同級生。総合的に能力が高く次期中央委員長と目される。マイペースで一見感情が鈍いようにも見えるが。

・小暮綾香


正人の同級生で調理部員。学年一の美少女。

・須藤恵


綾香の親友。大人し気な様子だが計算力が高く、けっこうちゃっかりしている。

・宮前仁


美登利と誠の幼馴染。市内の不良グループをまとめる櫻花連合の総長になるため北部高校に入学した経緯を持つ。

・錦小路紗綾


綾小路の婚約者。京都に住んでいる。

・志岐琢磨


喫茶ロータスのマスター。元櫻花連合総長。美登利たちの後ろ盾のような存在。

・中川巽


美登利の兄。初代生徒会長。「神童」「天才」と称されるものの、人間的に欠けている部分が多い。それゆえに妹との関係を拗らせてしまう。

・榊亜紀子


美大生。芸術に精魂を傾ける奇抜な性格の持ち主。

・村上達彦


巽の同級生。生い立ちと持って生まれた優秀さのせいで彼もまた拗らせている。中川兄妹に出会って一層歪んでしまう。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み