2-10.「そんなもんですよ」

文字数 878文字

 須藤恵は、佐伯の揺さぶりに動じなかったし、綾香を見捨てもしなかった。一ミリたりとも佐伯が思ったふうには動かなった。
 気が弱くはかなそうに見えてまるで違う、聡明で勇敢。中川美登利が言った通り。自分の方こそ人を見る目がなかったと反省してしまいそうなほど。

 思うつぼな展開で、さぞ勝ち誇って笑っていることだろう。
 そう思って受け取り口からコーヒーを取り上げながら美登利を見ると、その顔は、まるで無表情で。
「……」
 女は訳がわからない。佐伯は益々苦い気持ちになる。

「ときに佐伯さん」
 購買で買ったばかりらしいレポート用紙とペンを取り出して、美登利が言った。
「誓約書を書いてもらえますか?」
「はぁ?」
「文化祭でギャルソンをやるって、岩下先輩に向けて一筆」
 にこっと笑顔になったと思ったら空恐ろしいことを言う。

「くそっ」
 自販機前の丸テーブルにレポート用紙を叩きつけペンを寄越せと手を差し出しながら佐伯は吐き捨てた。
「書くよ。賭けに負けたのは俺だからな」
 やけくそのようにペンを走らせ、尋ねる。
「もし勝ってたら、あんた本当に俺と付き合ったのかよ」
「もちろん」
 平然と嘘をつくその顔に、佐伯はキスしてやりたい衝動に駆られた。




 その日の放課後。
「ねーえ。坂野っち」
「なんですか?」
「あの子たち、今朝ものすごい喧嘩してなかったっけ?」
 和美が指差す方向で、小暮綾香と須藤恵が笑い合っている。部活に行くのだろうか、調理室がある北校舎への渡り廊下を通りすぎていく。まさにその場所で今朝、修羅場があったばかりだというのに。

「箸が転がっても可笑しい年頃なんて、そんなもんですよ」
「仲直りしたならいいんだけどさ」
 言いにくそうに、和美は小声になる。
「美登利さんの、思惑通りってことなのかな」
「何か問題でも?」
「放っておいてもそのうち仲直りできたろうに、かわいそうになって」

「私はいつでも美登利さんの味方です」
「もちろんあたしだって」
 ムッと和美は口を尖らせる。
「そうですか」
 どうでもいいとばかりに今日子は適当に相槌を打つ。
「坂野っちは潔くていいよねえ」
 しみじみと和美は感心した。
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登場人物紹介

・池崎正人


新入生。持ち前の行動力と運動能力で活躍するようになる。負けず嫌いで男らしい性格だが察しが悪い。

・中川美登利


中央委員会委員長。容姿の良さと性格の特異さで彼女を慕う者は多いが恐れる者も多い。

・一ノ瀬誠


生徒会長。美登利の幼馴染。彼女に動かされているようでいて、実はいちばん恐れられている。

・綾小路高次


風紀委員長。堅物で融通が利かないが、意外な一面を持っていたりもする?

・坂野今日子


中央委員会書記。価値観のすべてを美登利を基準に置き絶対的に従っている。

・船岡和美


中央委員会兼放送部員。軽快なトークが得意。

・澤村祐也


文化部長。ピアノの達人。彼も幼い頃から美登利に心酔している。

・安西史弘


体育部長。際立った運動能力の持ち主で「万能の人」とあだ名される。性格は奇々怪々。

・森村拓己


正人の同級生で同じく寮生。美登利の信奉者。計算力が高く何事もそつなくこなす。

・片瀬修一


正人の同級生。総合的に能力が高く次期中央委員長と目される。マイペースで一見感情が鈍いようにも見えるが。

・小暮綾香


正人の同級生で調理部員。学年一の美少女。

・須藤恵


綾香の親友。大人し気な様子だが計算力が高く、けっこうちゃっかりしている。

・宮前仁


美登利と誠の幼馴染。市内の不良グループをまとめる櫻花連合の総長になるため北部高校に入学した経緯を持つ。

・錦小路紗綾


綾小路の婚約者。京都に住んでいる。

・志岐琢磨


喫茶ロータスのマスター。元櫻花連合総長。美登利たちの後ろ盾のような存在。

・中川巽


美登利の兄。初代生徒会長。「神童」「天才」と称されるものの、人間的に欠けている部分が多い。それゆえに妹との関係を拗らせてしまう。

・榊亜紀子


美大生。芸術に精魂を傾ける奇抜な性格の持ち主。

・村上達彦


巽の同級生。生い立ちと持って生まれた優秀さのせいで彼もまた拗らせている。中川兄妹に出会って一層歪んでしまう。

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