25-4.ほんの三年前のこと

文字数 959文字

 その兄妹をとりまく春のような暖かな空気は、自分のような武骨な男にさえ何か夢を見させてくれるような、癒されてしまうような、それでいて、何か儚いものを見ているかのような、そんな非現実に満ちていて。
 琢磨は知らず知らずのうちにこの兄妹を贔屓するようにさえなっていた。

 だからわかりはするのだ。春の光に引かれて手を伸ばさずにはいられない者の気持ちは。そして手に入らないと思い知らされる者の気持ちは。
 だけど村上達彦のしたことは到底許せることではなくて。

『僕がいない間さ、あの子を頼むよ。すぐに無茶をするからさ。志岐さんがしかってやって』
 頼まれていたくせに事前に防げなかった自分自身への怒りもあるだろうと思う。腕っぷしで片が付くことならいくらでも守ってやれた。
 だけどそんなことではない。そんなことではなかったのだ。
(巽よ、おまえの心配はいつも的外れなんだ)
 天才のくせにそんなこともわからなかったのか、と琢磨は友人を責めてやりたい。

『タクマ! タクマ!』
 あの日、美登利はボロボロに泣きじゃくりながら自分に縋りついてきた。
『わたしのこと思い切り殴って』
『なに言って……』
『オカシイの、わたしオカシイの。殴ったら治るかもしれない。全部元に戻るかもしれない』
 慟哭のあまりの激しさに引き金を引いた達彦でさえなにもできなくなっていた。
『こんなのは嫌、こんなのは嫌!』

 ほんの三年前のことだ。今、宮前と笑いあっているこの場所で、美登利はココアのカップを抱きながら琢磨に訊いた。

『忘れたいときにはどうすればいいの? 忘れたくても思い出しちゃうときにはどうすればいいの?』
 涙は後から後からあふれ続けて、小さな体が干からびてしまうと思えるほどに。
『どれくらい頑張ればいいの? どれくらい我慢すればいいの? 言って。わたし我慢するから、頑張るから』

 実際、よく耐えたと思う。誰にも言わず、誰にも頼らず、誰からも真実を隠して。
(おまえは頑張ったよ)

 ――寂しいよね。子どものときはさ、あんなにくっついて回ってたのに。気がついたらまったく寄ってこなくなっててさ。むしろ僕避けられてない? 傷つくんだけど。

 今更なんだよ、気づいたときには遅いんだ。
 怒鳴ってやりたいのをどれほどの気持ちで抑えていたかなんて巽にはきっと永遠にわからないだろう。
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登場人物紹介

・池崎正人


新入生。持ち前の行動力と運動能力で活躍するようになる。負けず嫌いで男らしい性格だが察しが悪い。

・中川美登利


中央委員会委員長。容姿の良さと性格の特異さで彼女を慕う者は多いが恐れる者も多い。

・一ノ瀬誠


生徒会長。美登利の幼馴染。彼女に動かされているようでいて、実はいちばん恐れられている。

・綾小路高次


風紀委員長。堅物で融通が利かないが、意外な一面を持っていたりもする?

・坂野今日子


中央委員会書記。価値観のすべてを美登利を基準に置き絶対的に従っている。

・船岡和美


中央委員会兼放送部員。軽快なトークが得意。

・澤村祐也


文化部長。ピアノの達人。彼も幼い頃から美登利に心酔している。

・安西史弘


体育部長。際立った運動能力の持ち主で「万能の人」とあだ名される。性格は奇々怪々。

・森村拓己


正人の同級生で同じく寮生。美登利の信奉者。計算力が高く何事もそつなくこなす。

・片瀬修一


正人の同級生。総合的に能力が高く次期中央委員長と目される。マイペースで一見感情が鈍いようにも見えるが。

・小暮綾香


正人の同級生で調理部員。学年一の美少女。

・須藤恵


綾香の親友。大人し気な様子だが計算力が高く、けっこうちゃっかりしている。

・宮前仁


美登利と誠の幼馴染。市内の不良グループをまとめる櫻花連合の総長になるため北部高校に入学した経緯を持つ。

・錦小路紗綾


綾小路の婚約者。京都に住んでいる。

・志岐琢磨


喫茶ロータスのマスター。元櫻花連合総長。美登利たちの後ろ盾のような存在。

・中川巽


美登利の兄。初代生徒会長。「神童」「天才」と称されるものの、人間的に欠けている部分が多い。それゆえに妹との関係を拗らせてしまう。

・榊亜紀子


美大生。芸術に精魂を傾ける奇抜な性格の持ち主。

・村上達彦


巽の同級生。生い立ちと持って生まれた優秀さのせいで彼もまた拗らせている。中川兄妹に出会って一層歪んでしまう。

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