26-2.やめてほしい

文字数 957文字

「なにも起きなければそれがいちばんいいのだし、だけど何かあったときのために無駄なことでもやっておく。私たちがいつもやってるのはそういうことでしょう」
 どこまでも淡々とした美登利の態度に寂しくなって、和美は少し愚痴ってしまう。
「でも、毎日こうだとさ、眠くもなってきちゃうし」

 コンクリートの床に手をついた和美の指に、後ろからするりと美登利の指が絡みついた。
(え……)
 身を固くする和美の背中に体を寄せ、少しだけ見返って彼女はささやいた。
「眠気が覚めるようなこと、してあげようか?」
 ぞわっと背筋を震えが駆け上がる。ぶるぶるとものすごい勢いで首を横に振る。
「もう覚めた! いま覚めた!」
「そう」
 微笑んで美登利は監視に目を戻した。

 ばくばくいう心臓を押さえながら和美も真面目に反対側を見張ることにする。その実いつまでも気分は落ち着かない。自分まで籠絡しようとするのはやめてほしい。
(ほんと怖い。この人)

 でも裏を返せば、それだけ今の彼女には余裕がないのかもしれない。中川美登利が青陵にかける想いは皆の知るところで、その学校が狙われていると言うのなら。

 美登利が持っていた携帯電話が鳴った。通話の着信、一ノ瀬誠からだ。
『江南がやられた。校内に入る前に食い止めたから実害はないけど、また捕獲はできなかった』

 顔を寄せて和美も一緒にその報告を聞いていた。
 美登利は一層表情を硬くしている。
「今週末は江南、来週にはうちが文化祭本番だっていうのにね」
 声をかけてみたが、美登利はただ怖い顔で唇を引き結んでいた。




 私立西城学園、県立北部高校、江南高校。
 当時、この三校が鼎の三つの足のごとくに同等の力を持ち地域に君臨していた。
 上流の子女が多く通う名門西城、裏を仕切る櫻花連合の本部を置く北部、文武共に安定した名声を得ている江南。
 互いが己の領域を持ち睨み合いながら、第一次世界大戦直前のバルカン半島のごとく一触即発でいたところに火種を投げ込む者があった。
 青陵学院の登場である。

 当時注目するものもわずかだった校名を西の西城・東の青陵と称されるまでに高めたのは、ひとりの生徒の力だった。青陵学院高等部初代生徒会長の中川巽は、その手腕で列強の間に自校をのし上げた。
 西の西城、東の青陵、北の北部、南の江南。四強時代の幕開けである。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

・池崎正人


新入生。持ち前の行動力と運動能力で活躍するようになる。負けず嫌いで男らしい性格だが察しが悪い。

・中川美登利


中央委員会委員長。容姿の良さと性格の特異さで彼女を慕う者は多いが恐れる者も多い。

・一ノ瀬誠


生徒会長。美登利の幼馴染。彼女に動かされているようでいて、実はいちばん恐れられている。

・綾小路高次


風紀委員長。堅物で融通が利かないが、意外な一面を持っていたりもする?

・坂野今日子


中央委員会書記。価値観のすべてを美登利を基準に置き絶対的に従っている。

・船岡和美


中央委員会兼放送部員。軽快なトークが得意。

・澤村祐也


文化部長。ピアノの達人。彼も幼い頃から美登利に心酔している。

・安西史弘


体育部長。際立った運動能力の持ち主で「万能の人」とあだ名される。性格は奇々怪々。

・森村拓己


正人の同級生で同じく寮生。美登利の信奉者。計算力が高く何事もそつなくこなす。

・片瀬修一


正人の同級生。総合的に能力が高く次期中央委員長と目される。マイペースで一見感情が鈍いようにも見えるが。

・小暮綾香


正人の同級生で調理部員。学年一の美少女。

・須藤恵


綾香の親友。大人し気な様子だが計算力が高く、けっこうちゃっかりしている。

・宮前仁


美登利と誠の幼馴染。市内の不良グループをまとめる櫻花連合の総長になるため北部高校に入学した経緯を持つ。

・錦小路紗綾


綾小路の婚約者。京都に住んでいる。

・志岐琢磨


喫茶ロータスのマスター。元櫻花連合総長。美登利たちの後ろ盾のような存在。

・中川巽


美登利の兄。初代生徒会長。「神童」「天才」と称されるものの、人間的に欠けている部分が多い。それゆえに妹との関係を拗らせてしまう。

・榊亜紀子


美大生。芸術に精魂を傾ける奇抜な性格の持ち主。

・村上達彦


巽の同級生。生い立ちと持って生まれた優秀さのせいで彼もまた拗らせている。中川兄妹に出会って一層歪んでしまう。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み