28-3.でも楽しかった

文字数 905文字




 行く場所なんてなかった。琢磨になら話すこともできるがロータスには巽がいるかもしれない。
 駅前から目的もなく歩き続けていたら学校の近くまで来てしまっていた。
 思い立って松林を抜け海岸に出る。

 海の匂いと強い風。夏のきつい日差し。
 休日ではないから海岸には誰もいない。と思ったのに、
「美登利さん」
 小宮山唯子と杉原直紀と会ってしまった。
 けれどこのふたりならばまだ話しやすい。

「お休みなのにどうしたの?」
「ロケット飛ばしに来たんだよ」
 ペットボトルロケットと発射台を持った杉原が笑う。
「文化祭でやりたかったけど場所が確保できなかったからさ。もう今日派手に飛ばしちゃおうって」

 登山帽をかぶってにこにこする杉原と、日よけに赤いパーカーのフードをかぶった唯子とは、並んで立っていると森のくまさんと赤ずきんちゃんみたいだ。微笑ましくて自然と笑うことができた。

「一緒に見てもいい?」
「もちろん」
「美登利さん日焼けしちゃわない?」
 なにしろここには日陰がない。
「なにも考えないで来ちゃったから」
「あ、待ってね」

 唯子はデイバッグの中からストールを取り出した。ターコイズブルーの布地の縁にオレンジ色の花が刺繍されている。
「かわいいね」
「お気に入りなんだ」
 唯子はそれを美登利の頭に被せてくれた。
「マトリョーシカみたい」
「唯子ちゃんだって」

 その間にも杉原は張り切って発射の準備をしている。
「杉原くん、T大目指すって」
「うん」
「生半可じゃなく努力しなくちゃいけないだろうから、遊んだりできなくなるねって」
「……」
「寂しいけどしょうがないね」
「うん……」

「発射するよー。見ててね!」
「はーい」
 ロケットが、強い風の中一直線に跳んで行く。
「大成功」
 やがて風に流されながら孤を描いて落下した。
 杉原と唯子が大はしゃぎでそっちに向かって走って行く。

 小さな頃、こうやって巽がロケットを飛ばしてくれたことがあった。
 誠と宮前と三人で夢中になって走った。ロケットを持って戻って、また飛ばしてもらって。
 いま考えると、犬の持ってこいみたいだ。
 美登利はくすっと笑う。
 でも楽しかった。兄がいて、誠がいて、宮前もいて。本当に楽しかった……。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

・池崎正人


新入生。持ち前の行動力と運動能力で活躍するようになる。負けず嫌いで男らしい性格だが察しが悪い。

・中川美登利


中央委員会委員長。容姿の良さと性格の特異さで彼女を慕う者は多いが恐れる者も多い。

・一ノ瀬誠


生徒会長。美登利の幼馴染。彼女に動かされているようでいて、実はいちばん恐れられている。

・綾小路高次


風紀委員長。堅物で融通が利かないが、意外な一面を持っていたりもする?

・坂野今日子


中央委員会書記。価値観のすべてを美登利を基準に置き絶対的に従っている。

・船岡和美


中央委員会兼放送部員。軽快なトークが得意。

・澤村祐也


文化部長。ピアノの達人。彼も幼い頃から美登利に心酔している。

・安西史弘


体育部長。際立った運動能力の持ち主で「万能の人」とあだ名される。性格は奇々怪々。

・森村拓己


正人の同級生で同じく寮生。美登利の信奉者。計算力が高く何事もそつなくこなす。

・片瀬修一


正人の同級生。総合的に能力が高く次期中央委員長と目される。マイペースで一見感情が鈍いようにも見えるが。

・小暮綾香


正人の同級生で調理部員。学年一の美少女。

・須藤恵


綾香の親友。大人し気な様子だが計算力が高く、けっこうちゃっかりしている。

・宮前仁


美登利と誠の幼馴染。市内の不良グループをまとめる櫻花連合の総長になるため北部高校に入学した経緯を持つ。

・錦小路紗綾


綾小路の婚約者。京都に住んでいる。

・志岐琢磨


喫茶ロータスのマスター。元櫻花連合総長。美登利たちの後ろ盾のような存在。

・中川巽


美登利の兄。初代生徒会長。「神童」「天才」と称されるものの、人間的に欠けている部分が多い。それゆえに妹との関係を拗らせてしまう。

・榊亜紀子


美大生。芸術に精魂を傾ける奇抜な性格の持ち主。

・村上達彦


巽の同級生。生い立ちと持って生まれた優秀さのせいで彼もまた拗らせている。中川兄妹に出会って一層歪んでしまう。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み