2-8.「よくないよ」

文字数 947文字

 赤い傘が、雨が降りしきる中に転がっている。
 須藤恵は、まさに今叩かれた頬を押さえて立ち尽くしていた。その前には手を振り下ろした格好のままの小暮綾香が立っていた。
「あんたなんか、もう、友だちじゃない!」
 言い放ち、生徒たちの間を抜けて昇降口の方へ行ってしまった。佐伯裕二の姿はもう既にない。
 残された須藤恵はその場に膝をついて手で顔を覆い、ほろほろと泣き始めた。

「なにあれ、修羅場?」
「あたし見てたけど、佐伯くんがあの子にちょっかい出してるふうだったよ」
「佐伯くんが自分から女の子に近寄ったりするー?」

 傘の下でさざめいている生徒たちの向こうから、池崎正人もその様子を目撃していた。珍しく普通に登校してみたならこの騒ぎだ。
 まだ泣いている須藤恵を坂野今日子と船岡和美が慰めている。
 こういうとき、真っ先に現れるはずの中央委員会委員長がやって来ないことが引っかかった。


 その中川美登利は、廊下の片隅から遠目にその一部始終を眺めていた。暗い表情でこつんと壁に頭をあてる。

「よくないよ」
 突然、後ろから一ノ瀬誠が彼女の肩に顎を載せて囁いた。
「なにも知らない子たちを利用するのは」
「おっしゃる通りです」

 裁かれている気分なのだろう。美登利はしょんぼりうなだれている。
(おまえを裁くのは俺じゃないけど)
 誠の目線の先、池崎正人は怖い顔のまま何か考えているようだった。




 午前の授業が終わるのを待って、小暮綾香は自分の教室を飛び出した。同じく学食へ走り出していく生徒の流れから外れ、特別教室が固まっている北校舎の方へと向かう。
 佐伯と話がしたかった。

 入学してすぐ好きになった人。同じ一年の女子と付き合っているふうだったから始めは見ているだけだったけれど、別れたことがわかって告白を決意した。
『あの人はよくないと思う』
 今まで口答えなどしたことがなかった恵に反対され、
『やめた方がいいよ。綾香ちゃん』
 腹が立ったし寂しかった。友だちなら、なにをおいても応援してくれるべきではないのか。
『どんな人かもわからないんだし、もう少し様子を見た方がいいよ』

 なに言ってるんだか。恋は早い者勝ちなのだ。ぼんやりしているうちに新しい彼女ができてしまうかもしれない。
 だから綾香は行動した。そして勝ち取った。そう思ったのに。
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登場人物紹介

・池崎正人


新入生。持ち前の行動力と運動能力で活躍するようになる。負けず嫌いで男らしい性格だが察しが悪い。

・中川美登利


中央委員会委員長。容姿の良さと性格の特異さで彼女を慕う者は多いが恐れる者も多い。

・一ノ瀬誠


生徒会長。美登利の幼馴染。彼女に動かされているようでいて、実はいちばん恐れられている。

・綾小路高次


風紀委員長。堅物で融通が利かないが、意外な一面を持っていたりもする?

・坂野今日子


中央委員会書記。価値観のすべてを美登利を基準に置き絶対的に従っている。

・船岡和美


中央委員会兼放送部員。軽快なトークが得意。

・澤村祐也


文化部長。ピアノの達人。彼も幼い頃から美登利に心酔している。

・安西史弘


体育部長。際立った運動能力の持ち主で「万能の人」とあだ名される。性格は奇々怪々。

・森村拓己


正人の同級生で同じく寮生。美登利の信奉者。計算力が高く何事もそつなくこなす。

・片瀬修一


正人の同級生。総合的に能力が高く次期中央委員長と目される。マイペースで一見感情が鈍いようにも見えるが。

・小暮綾香


正人の同級生で調理部員。学年一の美少女。

・須藤恵


綾香の親友。大人し気な様子だが計算力が高く、けっこうちゃっかりしている。

・宮前仁


美登利と誠の幼馴染。市内の不良グループをまとめる櫻花連合の総長になるため北部高校に入学した経緯を持つ。

・錦小路紗綾


綾小路の婚約者。京都に住んでいる。

・志岐琢磨


喫茶ロータスのマスター。元櫻花連合総長。美登利たちの後ろ盾のような存在。

・中川巽


美登利の兄。初代生徒会長。「神童」「天才」と称されるものの、人間的に欠けている部分が多い。それゆえに妹との関係を拗らせてしまう。

・榊亜紀子


美大生。芸術に精魂を傾ける奇抜な性格の持ち主。

・村上達彦


巽の同級生。生い立ちと持って生まれた優秀さのせいで彼もまた拗らせている。中川兄妹に出会って一層歪んでしまう。

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