8-4.「断る方に五千円」

文字数 984文字

「高次ったらなにがおかしいのよ」
「すまない」
 なんとか笑いを収めた後、真面目な表情を作って彼は紗綾に意見した。

「でもな、お姫様は助けが来るのを待っているものだろう?」
「そんなの誰が決めたのよ。自力で脱出して王子様を探しに行くお姫様だっているわ。だからわたしだってがんばるの。ねえ、そしたら高次は喜んでくれる?」

 綾小路は答えることができなかった。「がんばれ」などと無責任なことは言えないし「おまえは無理しなくていいんだよ」と言えるほどのものを自分はまだ持っていない。

 悩んだあげく、彼は黙って紗綾の頭を撫でた。
 いつもだったら子ども扱いするなと怒るところなのに紗綾はぎゅっとその手にしがみついてきた。

 そうして手をつないだまま梅園の脇を通ったとき、紗綾が言った。
「今年は梅も桜も逃してしまったけど今度は一緒に紅葉狩りに行きましょうね。わたし楽しみにしてるから」
「ああ。そうだな」

「さっき聞き返そうとして忘れてたわ。高次は? 学校楽しい?」
「ああ。楽しいよ」
 そうでしょうね、と紗綾はつないだ手を軽く揺らした。




「留学?」
 池を渡る回廊の半ば。美登利の驚いた声に反応するように強い風が吹き、彼女の手にした赤い和紙の風車が勢いよく回った。午前中、哲学の道で誠が買ってやったものだ。

 いつでも賑わっている清水寺一帯からさほど離れていないのに、この高台寺はおもしろいほど観光客の姿がない。美登利が好む所以だ。

「千重子理事長から両親を通して打診があったそうだ」
「えぐい真似してくれるね」
「あそこの親は俺たちの家みたいに理解があるわけじゃないし動揺しても仕方ない。あいつを責めるなよ」

 真顔で誠が言うと、美登利も真面目な顔をして池の水面を見下ろした。
 色とりどりの錦鯉が優雅に水中を滑って行く。風を受けて風車が音もなく回る。

「そんなに悩むようなことかなあ」
「そりゃ悩むだろう。もともとあいつは完璧な人生設計のもとにエリート街道まっしぐらに走ろうとしてた奴なんだから」

 欄干に頬杖をついて美登利は眉を寄せる。
「でもさ、結論なんて目に見えてる気もするんだよね」
「賭けるか?」
「いいよ」
 ふたりは同時に指を開いた。
「断る方に五千円」
 ぴたりと声が重なって、水面近くにいた鯉が波紋を残して勢いよく逃げていった。

「これじゃあ賭けにならないな」
「ほんとだね」
 空を仰いで美登利はくすくす笑った。
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登場人物紹介

・池崎正人


新入生。持ち前の行動力と運動能力で活躍するようになる。負けず嫌いで男らしい性格だが察しが悪い。

・中川美登利


中央委員会委員長。容姿の良さと性格の特異さで彼女を慕う者は多いが恐れる者も多い。

・一ノ瀬誠


生徒会長。美登利の幼馴染。彼女に動かされているようでいて、実はいちばん恐れられている。

・綾小路高次


風紀委員長。堅物で融通が利かないが、意外な一面を持っていたりもする?

・坂野今日子


中央委員会書記。価値観のすべてを美登利を基準に置き絶対的に従っている。

・船岡和美


中央委員会兼放送部員。軽快なトークが得意。

・澤村祐也


文化部長。ピアノの達人。彼も幼い頃から美登利に心酔している。

・安西史弘


体育部長。際立った運動能力の持ち主で「万能の人」とあだ名される。性格は奇々怪々。

・森村拓己


正人の同級生で同じく寮生。美登利の信奉者。計算力が高く何事もそつなくこなす。

・片瀬修一


正人の同級生。総合的に能力が高く次期中央委員長と目される。マイペースで一見感情が鈍いようにも見えるが。

・小暮綾香


正人の同級生で調理部員。学年一の美少女。

・須藤恵


綾香の親友。大人し気な様子だが計算力が高く、けっこうちゃっかりしている。

・宮前仁


美登利と誠の幼馴染。市内の不良グループをまとめる櫻花連合の総長になるため北部高校に入学した経緯を持つ。

・錦小路紗綾


綾小路の婚約者。京都に住んでいる。

・志岐琢磨


喫茶ロータスのマスター。元櫻花連合総長。美登利たちの後ろ盾のような存在。

・中川巽


美登利の兄。初代生徒会長。「神童」「天才」と称されるものの、人間的に欠けている部分が多い。それゆえに妹との関係を拗らせてしまう。

・榊亜紀子


美大生。芸術に精魂を傾ける奇抜な性格の持ち主。

・村上達彦


巽の同級生。生い立ちと持って生まれた優秀さのせいで彼もまた拗らせている。中川兄妹に出会って一層歪んでしまう。

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