30-1.「あなたは本当はいい子」

文字数 985文字

 物心ついた頃には父親はいなかった。
「お父さんは交通事故で死んじゃったの」
 母親の言うことを本当に小さい頃には信じていたと思う。

 だがすぐに気がついた。死んだというが狭い自宅のアパートには仏壇も位牌もない。墓参りなどにも行ったことがない。
 嘘なのだ。父親など最初からいない。

 婚外子。認知もされていないし父親は何処の誰とも知れないのだろう。
 そんなふうな大人の事情を理解できるようになったのはある程度の年齢になった頃。そうなるまでは母一人子一人という現状を少しは寂しく感じていたように思う。
 今となってはどうでもいいことではあるが。

 月並みな表現だが、母は朝から晩まで働いて自分を養ってくれた。
 母のことはそれなりに愛していると思う。大事にしてもいる。
 だが同時に嫌悪の対象でもあった。

 自分の立場の弱さを知っていて他者に対して常にへりくだり同情を誘う。
 そういった姿に単純に憐憫の情を感じる者もいれば、逆にしたたかと感じて不快に思う者もいるだろう。
 だからトラブルが絶えずに職場や住処を転々とした。
 そのしわ寄せは息子の自分にもおよび、小学校では毎日のように喧嘩ばかりしていた。

 三日に一度は呼び出される母親は平身低頭で教師や相手の親に謝り続ける。そんな姿を見て育った息子が自尊心など持てるはずがない。
「あなたは本当はいい子。お母さんが悪いんだよね。ごめんなさい、ごめんなさい」
 そう言われるたびにどす黒い何かが胸の内に広がって、ばれないように隠れて悪いことをするようになった。

 中学に上がった頃、ようやく一か所に住居が定まるようになった。母が病気がちになったためだ。
 無理をして働かなくても自分が高校に行かずに働くから。そう言っても母は首を横に振り続けた。

「せっかく頭がいいのになに言ってるの。母さんはね、あなたが立派になってくれればそれでいいの。それだけが生きがいなの」
 その過度の依存こそが自分を蝕み歪ませていくのだと愚かな母は気づきもしない。

 表向きは優等生としてすごしていたから教師の覚えも良くなり、高校受験が近づいた頃には特待生推薦を勧められるようになった。学校によっては入学金と授業料の免除ばかりでなく生活費の補助まで受けられる。
 いっそのこと遠方の学校を希望して母親から離れてしまおうか。

 そんなことを考えいたとき、彼が現れた。
「村上達彦くんだよね?」
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登場人物紹介

・池崎正人


新入生。持ち前の行動力と運動能力で活躍するようになる。負けず嫌いで男らしい性格だが察しが悪い。

・中川美登利


中央委員会委員長。容姿の良さと性格の特異さで彼女を慕う者は多いが恐れる者も多い。

・一ノ瀬誠


生徒会長。美登利の幼馴染。彼女に動かされているようでいて、実はいちばん恐れられている。

・綾小路高次


風紀委員長。堅物で融通が利かないが、意外な一面を持っていたりもする?

・坂野今日子


中央委員会書記。価値観のすべてを美登利を基準に置き絶対的に従っている。

・船岡和美


中央委員会兼放送部員。軽快なトークが得意。

・澤村祐也


文化部長。ピアノの達人。彼も幼い頃から美登利に心酔している。

・安西史弘


体育部長。際立った運動能力の持ち主で「万能の人」とあだ名される。性格は奇々怪々。

・森村拓己


正人の同級生で同じく寮生。美登利の信奉者。計算力が高く何事もそつなくこなす。

・片瀬修一


正人の同級生。総合的に能力が高く次期中央委員長と目される。マイペースで一見感情が鈍いようにも見えるが。

・小暮綾香


正人の同級生で調理部員。学年一の美少女。

・須藤恵


綾香の親友。大人し気な様子だが計算力が高く、けっこうちゃっかりしている。

・宮前仁


美登利と誠の幼馴染。市内の不良グループをまとめる櫻花連合の総長になるため北部高校に入学した経緯を持つ。

・錦小路紗綾


綾小路の婚約者。京都に住んでいる。

・志岐琢磨


喫茶ロータスのマスター。元櫻花連合総長。美登利たちの後ろ盾のような存在。

・中川巽


美登利の兄。初代生徒会長。「神童」「天才」と称されるものの、人間的に欠けている部分が多い。それゆえに妹との関係を拗らせてしまう。

・榊亜紀子


美大生。芸術に精魂を傾ける奇抜な性格の持ち主。

・村上達彦


巽の同級生。生い立ちと持って生まれた優秀さのせいで彼もまた拗らせている。中川兄妹に出会って一層歪んでしまう。

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