33-2.負けたくはない

文字数 904文字

 駅に向かって坂道を登りながら誠は訊いてみた。
「巽さん、恋人と来たんだろ」
「来たねえ」
「どんな人?」
「面白い人」
 意外にも美登利は心から笑っているふうな自然な笑顔を浮かべた。
「うん、あの人でよかったって感じ」

 どんな人物やら誠も興味がわいてきた。
「そのうち会うよ。長い付き合いになるかもしれない」
 そんな自虐的にならなくても、と思ったがやっぱり美登利は意外と平気な顔をしている。
「……」
 駄目だ、わからない。一か月会わなかった間の進化について行けない。アップデートが間に合わない。

 通り沿いの商店に貼られたポスターをよくよく眺めて美登利は言った。
「今日、花火やるね。見たいけど夜まで時間潰すのは無理があるか。また今度……」
 手を引かれて、美登利は振り返る。
「あそこに行きたい」
 言われて驚愕する。
「いいけど……」



「勉強たいへん?」
「うん……」
 そういうわけでもなかったが頭を撫でてくれる手がめずらしく優しいからそういうことにしておく。
 乱れた後の肌の匂い、心臓の鼓動。愛しい音、ずっとこうして聞いていたい。

「学校始まるねえ」
「そうだな」
「引継ぎも終わったし、私やることなくなっちゃったよ。どうしよう」
「呑気だなあ、おまえは」
「ねえ。また全集でも読もうかな」
 鼓動に乱れはない。見透かして言っているのか。

 こうして耳を寄せていたって心が見えてくるわけじゃない。わかってる。
 ならばせめて、誰にも心を晒さないで欲しい。誰からも謎のままでいて欲しい。
 全部を知りたいわけじゃない。たぶん自分にはそんな度量はない。
 だけどやっぱり誰にも負けたくない。負けたくはない。


     *     *     *


 短くなった髪を見て寂しくなかったわけじゃない。
 艶やかな長い髪を梳かしながらその日あった出来事を聞くのが好きだった。すべてを委ねられて、すべてを知っているのは自分だった。
 逃げ出してしまう前までは。

 その代償の大きさを思い知るのはまだまだこれから。覚悟はできている。
 けれどいつも自分の覚悟など全然足りていなくて、甘く見てはいけないと経験でわかっていたはずなのに、そんな予測を打ち壊すほどにあの子の存在は強烈で、
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登場人物紹介

・池崎正人


新入生。持ち前の行動力と運動能力で活躍するようになる。負けず嫌いで男らしい性格だが察しが悪い。

・中川美登利


中央委員会委員長。容姿の良さと性格の特異さで彼女を慕う者は多いが恐れる者も多い。

・一ノ瀬誠


生徒会長。美登利の幼馴染。彼女に動かされているようでいて、実はいちばん恐れられている。

・綾小路高次


風紀委員長。堅物で融通が利かないが、意外な一面を持っていたりもする?

・坂野今日子


中央委員会書記。価値観のすべてを美登利を基準に置き絶対的に従っている。

・船岡和美


中央委員会兼放送部員。軽快なトークが得意。

・澤村祐也


文化部長。ピアノの達人。彼も幼い頃から美登利に心酔している。

・安西史弘


体育部長。際立った運動能力の持ち主で「万能の人」とあだ名される。性格は奇々怪々。

・森村拓己


正人の同級生で同じく寮生。美登利の信奉者。計算力が高く何事もそつなくこなす。

・片瀬修一


正人の同級生。総合的に能力が高く次期中央委員長と目される。マイペースで一見感情が鈍いようにも見えるが。

・小暮綾香


正人の同級生で調理部員。学年一の美少女。

・須藤恵


綾香の親友。大人し気な様子だが計算力が高く、けっこうちゃっかりしている。

・宮前仁


美登利と誠の幼馴染。市内の不良グループをまとめる櫻花連合の総長になるため北部高校に入学した経緯を持つ。

・錦小路紗綾


綾小路の婚約者。京都に住んでいる。

・志岐琢磨


喫茶ロータスのマスター。元櫻花連合総長。美登利たちの後ろ盾のような存在。

・中川巽


美登利の兄。初代生徒会長。「神童」「天才」と称されるものの、人間的に欠けている部分が多い。それゆえに妹との関係を拗らせてしまう。

・榊亜紀子


美大生。芸術に精魂を傾ける奇抜な性格の持ち主。

・村上達彦


巽の同級生。生い立ちと持って生まれた優秀さのせいで彼もまた拗らせている。中川兄妹に出会って一層歪んでしまう。

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