習合 節卅五
文字数 2,337文字
(なんじゃこやつは)刷雄は、あっけにとられて、この酔っ払いじみた妖怪が、目の前を通り過ぎていくのを、見守った。ほとんど髪のない頭と、毛むくじゃらの全身の対比が、薄気味悪い。本当に、踊っているのだろうか。肘から先の手を、左右に伸べて、ひょこひょこ、左右に振れながら、進んでいく。雨を通して、(うおお)妖怪の、怖気を振るうほどの悪臭が、漂ってきた。この異臭は知っている。うらぶれ、荒廃し、下水道の不備で排泄物すらうまく除かれぬ陋巷の、悪所の臭いだ。人の垢、汗水、屎尿、その他、みな、人間の生体に由来する臭気が、晴れることなく、雪がれることなく、どんどん蓄積され、饐えて、腐っていった、その果ての臭い。
(び、貧乏神か)
え、
へ、
へへへへ。
ヒョー、という、笛のような鳴き声とともに、そんな、照れたか、こちらにおもねるかのような、なさけない笑いを、しまりのない顔に浮かべ、刷雄をのぞき込んだ。そのみじめさ、いたたまれなさ、尾羽打ち枯らした様子は、身を切るように辛い気持ちに、刷雄を追い込むことはなかった。だが、どうにも、やりきれない気分にさせられた。落魄しきったなにか。
そいつが通り過ぎ、けだものの後ろ脚じみた足で、ひょこひょこ、手を左右に、体を左右 しながら、禿げ上がった後頭部を見せつける。獺 かなにかだろうか。ひょこひょこひょこひょこ、遠ざかっていき、そして。
(え)
おのれが捉えた光景。その光景に、三人が三人とも、釘付けとなった。
(え)刷雄は、兵主神社の方を見た。神社は、まるで、抜け殻だ。鎮守の実体 など、まるで感じない、空っぽ 。
刷雄は、また、振り向いて、先ほどと同じ方向を見る。もう、あの妖怪の、毛深い、なさけない後ろ姿は、ずいぶん、小さくなっている。びちゃびちゃ、小泉川の水路を越えて、悪所の向こう側へ、行こうとしている。その姿が小さくなり、風浪と闇に消える。三人は、動くことができなかった。
三人の脳裏には、先ほど目にした光景が、まざまざと灼きついていた。あの怪物の後ろ姿がある限り、それが、いくどでも反芻される。
あの時、あの妖怪は、三人のかたわらを通り過ぎ、そのまま進んでいった。そして、地面に突き立った、兵主神社の幟を過り、そして、そして。風雨にはためく幟には、あの、「人面獣身」に映る、実際は牛頭の、蚩尤墓壁画が描かれている。鼻面がつづまり、両目のぎょろりとした人間の頭部に見える。得物持ちつつ、その両手は横に広げられ、獣の後ろ脚のごとき両足は、躍動感を再現して、今にも、上下に、ひょっこりひょっこり、ステップしそうな……
同じ。
まさか。
そこにいるのは、まぎれもなく、近似したなにかだった。もとは、幟に描かれているものなのに、それが、ずいぶんとなさけない姿に再現されてしまった、なれの果て。
(うそだ)濡れた旗同様に、不吉に揺らめき、なのに、灼けた石のように、その直感は鋭く飛んだ。あり得ぬ。まさか。
人意が、人為が。
天平時代から、この新時代へ、変遷し、遷都する、この歴史の変節点では。
あらゆる人々の思惑が百鬼夜行をなし、それらの権謀術数が、至極まっとうな正道を、詭道にまみれて、いつか、外連 じみた、外道のごときものにまで、導いてしまう。
そもそもが、兵主神と蚩尤自体が、習合めいた関係性ではないか。黄帝に背いた反乱の神と、封禅 で祀られる八神の一柱。それが、秦氏という氏子によって、渡来し、本邦で受け容れられるため、素戔嗚尊 や、八千矛神 と習合する、この悪所では、水浄める神格として、水神の側面を備え、さらには、祟り神という泣きどころを突かれて、早良親王と習合して。
わけのわからないものになった。
あの、毛むくじゃらの、見るも無惨な生き物に……
(楽園に)おのれの世界が引き裂かれていく衝撃の中、徐福は、思う。(豊葦原千五百秋瑞穂国 に、呑まれ遊ばされたのか)かつて、大陸を二分し、覇を競った乱神が、この太平楽の国にふさわしく、習合に次ぐ習合、紆余曲折の果て、肩をつぼねた、ひょうげた有り様に。剽軽 なる戦闘者が、剽軽者 に。
牛頭の神が、すっかり、角を矯められてしまって――角を矯める、という言葉には、性格が丸くなる、という、肯定的な意味はない。
長所がなくなってしまい、役に立たなくなる、ということだ。だから、正確には、こう言う。
「うおあああぁあああああああぁあああああああああああ~~」
霹靂(へきれき)のごとき叫びと勢いは、老身を、喉をいたずらに乱高下させる。叫んでいる。叫びの嵩が上下している。その勢いに、おのれの理性が浮沈する。
あれが、氏神の末路なのか!?
楽園に融けた。
あれが、氏族 の末路なのか。
消え去っていく――なれの果てに行き着くなにものか。
もはや、おのれがなんだったのか、片鱗すら残してはいない!
「うああああぁあああああああああ!」秦の方士の叫びが、兵主部 の声が、おのれを影に押し込めようとする雨風に抗い、天へと上がる。
鬼哭啾々。
鬼の声。
代償。
その二字が、見え隠れする。
豊葦原千五百秋瑞穂国 ――その豊穣に、豊麗さに、楽園に魅せられて……そこに、合一することを善 しとし、そのために、わが身の前身を、悪と切り捨てて……あげくに残ったものが、あれか!?
見下げ果てた……
過去を否定しつづけた果ての、あまりものが、あれか!?
「うああああああああああああああ~~~~!」
ぬえと変じた、魍魎に堕した――ひょうすべが。
なんでもなくなってしまったものが、吼え叫ぶ。
水と、闇が、容赦なく、そんななれの果ての陰を圧殺し、京に押し込め、黙殺する。
(び、貧乏神か)
え、
へ、
へへへへ。
ヒョー、という、笛のような鳴き声とともに、そんな、照れたか、こちらにおもねるかのような、なさけない笑いを、しまりのない顔に浮かべ、刷雄をのぞき込んだ。そのみじめさ、いたたまれなさ、尾羽打ち枯らした様子は、身を切るように辛い気持ちに、刷雄を追い込むことはなかった。だが、どうにも、やりきれない気分にさせられた。落魄しきったなにか。
そいつが通り過ぎ、けだものの後ろ脚じみた足で、ひょこひょこ、手を左右に、体を
(え)
おのれが捉えた光景。その光景に、三人が三人とも、釘付けとなった。
(え)刷雄は、兵主神社の方を見た。神社は、まるで、抜け殻だ。鎮守の
留守であるかのように
。刷雄は、また、振り向いて、先ほどと同じ方向を見る。もう、あの妖怪の、毛深い、なさけない後ろ姿は、ずいぶん、小さくなっている。びちゃびちゃ、小泉川の水路を越えて、悪所の向こう側へ、行こうとしている。その姿が小さくなり、風浪と闇に消える。三人は、動くことができなかった。
三人の脳裏には、先ほど目にした光景が、まざまざと灼きついていた。あの怪物の後ろ姿がある限り、それが、いくどでも反芻される。
あの時、あの妖怪は、三人のかたわらを通り過ぎ、そのまま進んでいった。そして、地面に突き立った、兵主神社の幟を過り、そして、そして。風雨にはためく幟には、あの、「人面獣身」に映る、実際は牛頭の、蚩尤墓壁画が描かれている。鼻面がつづまり、両目のぎょろりとした人間の頭部に見える。得物持ちつつ、その両手は横に広げられ、獣の後ろ脚のごとき両足は、躍動感を再現して、今にも、上下に、ひょっこりひょっこり、ステップしそうな……
同じ。
まさか。
そこにいるのは、まぎれもなく、近似したなにかだった。もとは、幟に描かれているものなのに、それが、ずいぶんとなさけない姿に再現されてしまった、なれの果て。
蚩尤の
。(うそだ)濡れた旗同様に、不吉に揺らめき、なのに、灼けた石のように、その直感は鋭く飛んだ。あり得ぬ。まさか。
人意が、人為が。
天平時代から、この新時代へ、変遷し、遷都する、この歴史の変節点では。
あらゆる人々の思惑が百鬼夜行をなし、それらの権謀術数が、至極まっとうな正道を、詭道にまみれて、いつか、
そもそもが、兵主神と蚩尤自体が、習合めいた関係性ではないか。黄帝に背いた反乱の神と、
わけのわからないものになった。
あの、毛むくじゃらの、見るも無惨な生き物に……
(楽園に)おのれの世界が引き裂かれていく衝撃の中、徐福は、思う。(
牛頭の神が、すっかり、角を矯められてしまって――角を矯める、という言葉には、性格が丸くなる、という、肯定的な意味はない。
長所がなくなってしまい、役に立たなくなる、ということだ。だから、正確には、こう言う。
角を矯めて牛を殺す
。「うおあああぁあああああああぁあああああああああああ~~」
霹靂(へきれき)のごとき叫びと勢いは、老身を、喉をいたずらに乱高下させる。叫んでいる。叫びの嵩が上下している。その勢いに、おのれの理性が浮沈する。
あれが、氏神の末路なのか!?
楽園に融けた。
あれが、
消え去っていく――なれの果てに行き着くなにものか。
もはや、おのれがなんだったのか、片鱗すら残してはいない!
「うああああぁあああああああああ!」秦の方士の叫びが、
鬼哭啾々。
鬼の声。
代償。
その二字が、見え隠れする。
見下げ果てた……
過去を否定しつづけた果ての、あまりものが、あれか!?
「うああああああああああああああ~~~~!」
ぬえと変じた、魍魎に堕した――ひょうすべが。
なんでもなくなってしまったものが、吼え叫ぶ。
水と、闇が、容赦なく、そんななれの果ての陰を圧殺し、京に押し込め、黙殺する。