軍囃子 節十四

文字数 2,131文字

 毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)(奈良の大仏)の前に立っているかのようだ。梵の世界になぞ連れていってくれるはずもない、(アートマン)の魔王が鎮座している。それでも、圧倒的に矯激な静物の前で、自身の卑小さを思い知らされ、内宇宙に向き合う。だが、刷雄は、今は、蚩尤という怪物との対峙ではなく、目の前の、秦氏の方士に、意識を向ける。(亡ぶ)「自嘲が過ぎるのではないか。こうして、見事、氏神を勧進してのけたであろう」「敗北宣言に他ならぬ」面長の顔が、疲れた、髑髏じみたものに映る。「われらが、われらのままであるのなら、なんで、このような、外連(けれん)じみた行動に出なくてはならぬ」
 自己主張。
 と、そのことに思い至り、刷雄は、口をつぐむ。そうかもしれない。秦氏は、あくまで、外郭に位置していた。多くの官人を出すも、自身が中央政界に存在感を発揮する、三位や二位は絶無。昇殿の資格を持つものすら、ほとんどおらず、従って、地下(じげ)の、野の勢力なのだ。渡来人氏族の代表でありながら、日本の土地(つち)に根ざして。その秦氏が、こたび、呪術技能者まで駆り出して、大規模な工作に打って出た。おのれらの氏神を地鎮の要と推し、以て、長岡水都の柱石たらんとした。
 この押し出しは、転換点(ターニング・ポイント)だ。
 なぜ。
 刷雄の頭脳は旋回する。かつて、唐土で見た、大陸の民。その風貌に通底する、秦氏の造作。だが、やはり、違っているものだ。
 もう、幾百年も、本邦の(つち)(なず)んできた。
 彼らが出発地点とした百済も、とうに亡んでいる。そうして、そこからやって来た渡来人は、帰化人となり、
 日本人になった。
 (雑多な)と、思ってしまう。おのれらの、このやまとの民の来し方に思い馳せるとき。
 千五百秋瑞穂国(ちいほあきみずほのくに)、という、肥沃な土と、豊麗な水気と、無尽の緑陰に恵まれた島がある。実りの秋が、千五百、永遠につづく……。そこを目指し遠近(をちこち)から、民がやって来た。大陸、半島、高砂(台湾)、もそっとはるけき、大洋の向こう。それらが、豊葦原瑞穂国(とよあしはらみずほのくに)に住まわっていた、そもそもの民に交わり、争い、和を結び、それぞれの技と知を伝え、混血する。その輪廻の最後に行き着いた「なにものか」、それが、自分達だ。
 ぬえ鳥は、遠方から飛び立ち、日本にたどり着いたのだ。
 雑多なる、雑華(ざっか)
 そういう精華だ。
 「われらも、その一部になる」徐福の顔が、そう言っているように思えた。
 「保たぬのか」と、言った。「保たん」(はた)の方士は、苦笑する。知識、知見が、相通じていた。
 「それは、われらが渡来して早々は、その技もその知も、他から卓絶し、もって独自色を成すことができた。だが、その後も多くの氏族が渡来し、秦の技巧はそれらに紛れ、特別なものではなくなった。われらは朝から離れ、野におのれらを扶植することで豪族として他と比肩し、朝に匹敵したが、もはや、時勢は、中央から距離を取って我を張り通すことを許さぬ段に至っている」蘇我氏やら、物部(もののべ)氏やら、かつて、朝を脅かした豪族は存在した。みな、膝を屈した。
 天皇(すめらみこと)が、君臨した。
 推古帝、皇極(こうぎょく)帝(重祚して斉明帝)、絢爛たる上古の女帝が、天皇の礎を築く。そこから累代。天皇は、諸豪の盟主ではなく、君主に変わった。
 「われらも、朝に接近し、猟官と昇位に血まなこになる時代になったのだ。なればこそ、一族の子(藤原種継)を通じて、新京造営にわれらを売り込んだ。徹底して」震える。「こたびの仕事は、その総仕上げじゃ。川の地鎮をして、水都でのわれらの権勢を確固たるものにする。はははは。都鄙(とひ)の、後者の覇者であるわれらが、前者までを席巻するのよ」息を吐く。「前者に、近づくことで」
 時勢。
 「時勢」「ああ」
 大きなものが、動いていく。この、蚩尤という魔王の足下、原初の暗闇がごうごうと渦巻いている場所ですら。
 「幾百年ぞ」徐福が、香立てと向き合う。ガクリと、首を落とす。「かつて、弓月君(ゆづきのきみ)に率いられ、われら秦氏が、扶桑(ふそう)の土を踏んだ。われらは鉄の民」
 鉄、と、この男が口にすると、宿縁と怨嗟じみたものが燃え上がって感じるのは、なぜだろう。
 鉄。((てつ))と、別の字を思い浮かべる。(えびす)金属(かね)……
 「

権力と、涿鹿(たくろく)の野で決戦した、赤き民、兵主(ひょうず)蚩尤の氏子なるぞ。その製鉄の技と諸技能をもって、山陰の山々を蹈鞴場(たたらば)の煙で覆い、畿内を開拓し今日の基礎を作り上げた渡来人中の豪。その名に大秦(たいしん)を掲げ、日()ずるところの天子とも並び立たんと気を吐いた、鮮鋭の氏族」
 ぎり、と、切歯する。「朝の外にあって、せめて強大な野党たらんと欲したが、その大望は、ついに、潰えた。諸氏に肩並べ、われらは朝に富を献じよう。京の外にも無尽の天地があると謳っていたわれらが、在京の高官となろう、大臣(おとど)となろう。われらは朝臣(あそん)となり、兵主(ひょうず)は八百万にうずもれる」
 われらは、われらではなくなるのだ。そう、怨念が言う。夜気が動き、香煙が揺らぐ。
 そして、刷雄は、突然、(くつ)が、草履が、素足の裏が、幾百千もの雑踏となって、境内を埋めつくしていることに気づいた。いずれも、面長で、目尻や鼻先の垂れた、「(はた)」の風貌だった。
 そのことごとくが、蚩尤を仰いでいた。(鬼)
 そう思った時には、もう、消えている。
 「われらは、消え去るのだ」
 幽鬼のように、徐福が吐いた。

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