ひょうすべの誓い 節十八
文字数 1,170文字
みずからもひょうすべである秀吉が、中国王のひょうすべ輝元と、対峙する……あんがい、信長も、川並衆やら竹中半兵衛やら、秀吉の麾下には仕事のできる秦氏たちがいることを意識していて、対毛利戦線を打開すべくおくりこんだのかもしれない。ちなみに、半兵衛とともに両兵衛などとよばれた黒田官兵衛は、秦氏ではなさそうだ。彼も、元就や家康とおなじく、どこか、野心をつつみかくしている男で、秀吉は、「この男に大領をくれてやれば、天下を狙われる」と、薄く報いつづけた。――やりかねない。
筋目とか、素姓とか――そういうものが、やはり、大事なのだろう。そもそもが、日本の中軸におはされるのは天皇崇拝であり、これはユダヤ人にとってのユダヤ教のように、この精神をのぞいてしまっては「では、日本人とは?」という課題にこたえられなくなってしまう――
人間は、肉親や親友でなければ、他人のことはわからない。ごくごく外面的なこと以外知り得ず、その他一切は、闇の中でこだまするうわさばなしの数々でしかない――そこで、「伝説」「伝統」「筋目」といった、
いわれ
として、血統や由緒がとどろいている……まして、現代のように情報網が発達していない。畏敬とともに吹聴される貴人伝説は、現代のわれわれが想像するよりはるかに重いものだっただろう。――われわれさえ、ふだんは、貴族、など、いないかのようにふるまっているが、いざ本当に、血統故に特別とされる人物と対面したとき、平静でいられるかどうか。
ソワソワする――モゾモゾする。むかしのひとなら、いっそ、身を投げ出して、平伏してしまいたくなるのではないだろうか……現代でも、皇室に心ないバッシングをあびせるものもいれば、心から応援したり、祝福するものもいる。世継ぎを出産されれば日本中におめでたいムードがひろがり、出生率もうわむくという……
この巨大な存在感――皇室のことを折々に意識しないまま、一年を過ごせる日本人が、どれだけいることか……
畏れは、いまだある――
われわれは、皇室と対峙したとき、祝福以外の選択肢をうしなってしまう……それ以外が、ことごとく、不適当な選択肢であることくらい、不敬をはたらいている張本人でも意識している……
それは、神々の巷との接点なのだ。
聖、との邂逅なのだ――
だから、ソワソワする――モゾモゾする……そこにいるのが「特別」な人間なのだと、理解しているからだ――
現代は、依然、この矛盾を埋められていない……現代人の名にかけて、そんなものは存在していないかのようにふるまわなくてはならない!
この時代のひとびとは、畏れをむきみのまま、感動としてさらけ出す特権にめぐまれていたのだ……