習合 節十九

文字数 1,351文字


 「と、殿。このような刻限」「いつにのう、大雨にございます。どうぞ、お考え直しを」家人たちが止めるが、構わず、刷雄は、牛車を準備させる。使鬼(しき)の御者を打って、長岡京の条坊を行く。
 (どうなっておる)車を叩く雨音が、刻一刻と強くなる。屋形の天井から、水がしたたる。風音、天が唸る。牛が、不安そうに鳴いた。
 牛車は悠長な乗り物だ。刷雄は、京の条坊を廻る経路を工夫し、「縮地の法」をほどこして、経路を短縮する。ほどなく、菅原世道の家に着く。すでに、門戸が開け放たれていて、太刀を佩いた世道が、牛車に転がり込んできた。
 「一刻千金、悪い意味で」と、この、話の早い部下は言う。「悪所へ」「うむ」牛車が動きはじめる。
 悪所だ。あの、鳴り響いた北声(ノーザン・サウンド)を考えると、それ以外ない。あれほど重大な蹉跌(さてつ)が生じ得る場所は、水の鎮守、兵主神社。蚩尤の鎮める区画以外にない。
 「やぶ蛇ですな」雨音の轟音を袖(牛車の壁)で隔てる中、世道が言う。「鬼か、蛇か」刷雄が言うと、「いずれにしても、やぶをつついた時点で、なにか、わるいモノが出そうな予感はしておりました」と、険しい顔になる。「言うな」と、苦虫を噛み潰す。どうしても、基礎を間違えた上に、なにかを建てるような仕儀になる。どんな荘重なものを建てようと、いや、大厦高楼を築けば築くほど、歪みが顕著になっていく。
 下水の処理に、武神の加護を(たの)む――この時点で、筋違いもはなはだしい。金生水、金行の殺気をして、水行の豊穣を導かしめる、というのは、ことわりではあるものの、詭計詭道のにおいがしないでもない。武器の鋭鋒より、水が滴る――武器は、基本的に、争いごとをもたらす。血を流す。なぜ、そうまでして、武の祭神を迎えねばならぬのかといえば、ここが、長岡京だから、としか、言いようがない。妥当より妥協、至当より適当。あまりにおおくの人間の思惑が入り組んでいて、それらの折衝でしか、物事が決さない。そういう、時代の変節点に出現した、魍魎のごとくあいまいとした、ぬえのように得体の知れぬ、そういう実態だ。わけのわからぬことになってしまう。だれが望んでいたのかさえ、最終的にはわからなくなる。
 もしや、そういう、時代の坩堝の意志なのかも。混沌としてあれ、という……
 (うぬぬ)
 悪所が近づく、びゅうごお、と、風が打ち当たる。「(おい)」と、声が上がった。前簾(まえすだれ)の隙間から、前方をのぞく。そこに、式の御者がいない。彼の被っていた笠のみが、地面に落ちていて、先導者を失った牛が、不安そうに面を巡らせている。(なにが起こった)とは、考えない。刷雄も世道も、大海をかき分け巨鯨(おおいさな)が突如姿を現したかのような気配を感じている。
 五月雨の雲が、いよいよ厚くなり、雷公が四股を踏んでいる音響がする。そして、金白の閃条が、一、二度輝くと、(あっ)と、息を呑む。黒雲が、白く染まった、凄絶な雲間で、遊弋(ゆうよく)するものがいる。龍、龍ではない。人列。
 異形のものどもが、列を成して。
 (ひゃ、百鬼夜行)この嵐の中を行く百鬼どもは、まるで、怪鳥のよう。翼があり、(くちばし)も。
 雲に消えた。(な、な)
 「どうしました」世道が、車中から聞く。刷雄は、車内を向いて、言った。「霊威に当てられたな。案内(あない)が消えた。ここからは、徒歩(かち)となるぞ」
 
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