まつろわぬ民 節十六

文字数 1,477文字


 散漫な連想ながら――墨家(ぼっか)、という春秋戦国の集団がある。墨子、という手工業者出身とも言われる人物に率いられた集団で、博愛や平和主義を説きながら、その実践として守戦の技術を研究した、風変わりな一団だ。
 妙に、ひょうすべと似ている。団結心が強く、墨家の守る城市が陥落したところ、別の場所に遣わされていたメンバーが後追い自殺をしたりしている。技術を重んじ、土木や冶金、その他工学系の技術に長じていた。さらに面白いのは、技術者としての性格が強い一団でありながら、宗教教団でもあり、「明鬼」と言って、天の賞罰を信じていたことだ。
 平和と博愛を説きながら、侵略者に対しては躊躇なく防衛戦に踏み切る軍事集団。そのための高度な技術力を持ちながら、鬼神を信奉する宗教団体。矛盾している――矛盾していながら、しかし、妙に筋が通っている気もする。平和主義者だからと言って、大人しく侵略者に蹂躙される人間などいはしない――墨子は、現代の中国で科学技術の祖ともされているが、この合理精神が宗教と並立するのも、それほど不思議ではない。超自然的なものを崇めるからと言って、有益なものを放棄する理由にはならない。
 信仰心、技術力。
 戦いを嫌いながら、しかも、この集団は、「武」に直結する――
 兵主部に似ている。
 これも、ひょうすべ同様、「技術」というキーワードから読み解く方がいい。墨子は工業技術を重んじたが、そういう技術主義は、畢竟、武に結実する。
 ――お疑いなら、誰の目にも明らかな証拠がある。成層圏を抜け、地球を人工衛星の高みから見下ろしてみていただきたい。そこにさえ、技術が「武」に結びつく証拠は、歴然と確認できる。あの高名な、宇宙からも視認できる史上最大の人工物は、「万里」に渡ってつづく城壁は、なにを目的に建造されたのか。
 みょうに、墨家に偏ってしまっているが、もう一つつけ加えたい。作者は、どうも、へそ曲がりで、人間集団が、博愛や平和主義などという

なもののもとに、堅固な団結心を保持できるとは、どうしても信じることができない。にもかかわらず、墨家は、その構成員が、他の構成員に殉死するほどの忠誠心を涵養していた。これもまた、技術がもたらす不可思議な光景なのだと考えたくなってしまう。
 技術は、技術力は、それを表現する舞台を求める。
 平時ならば、それが芸術(アート)として噴出することもあろう。だが、時は、春秋戦国時代……技術主義の墨家が、その実力を遺憾なく発揮する、しかも平和愛好の精神に即した場面は、「守戦」であり、「守城」に、集約されよう。
 技術は表露する――そして、古代にあって、それがもっとも顕著な分野は、つまり、「武」なのだ。
 これがあるからこそ、墨家という集団は、高度な団結心を保持していたのかもしれない。つまり、彼らは、宗教団体、さらには、諸子百家である以上に、技術者集団であり、その実力を存分に発揮できる環境に恵まれていた――この悦びが、強烈な求心力となり、墨家集団を成立させていたのかもしれない。
 戦国時代が終わり、中華が統一されると、墨家は、溶けるように消え去った。その後、二千年もの間、その行跡は誰にも顧みられなかった。
 成立からして謎で、あたかも暗闇から出てきた黒牛のようにあった集団……そして、ひっそりと歴史の闇に埋没していった、技術と武を掲げるものたち。
 秦氏に似ている。
 そんな彼らが、中華統一を成し遂げた〝秦〟によって解体されたのは、皮肉としか言いようがない。
 文と礼で成る儒教と、一時期互す勢いで、彼ら、武と技の墨家は、大陸を席巻したのだ。
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