魍魎の街 節十

文字数 2,322文字


 奥の間で、刷雄と顔を合わせるなり、
 「罔象(みずは)にございます!」
 と、言った。
 「でかした!」そこは、さすが心得たもので、刷雄が世道の言わんとすることを察して、声を上げる。魍魎は、鬼を抜いて、罔両、とも表記されるが、罔象、の字も当てられる。この場合は、しばしば「みずは」と訓じられる。
 水神だ。
 火の神が、水神の生まれるきっかけになった、というのは、皮肉なことだ。炎の神軻遇突智(かぐつち)伊邪那美命(いざなみのみこと)から生まれた際、その火炎が女陰(ほと)を灼き、伊邪那美命は息絶えることとなった。その際ほとばしった尿(いばり)から生じたのが、罔象女神(みずはのめのかみ)である。
 この神は、高名な水神。
 そして、尿から生まれた出自故か、(かわや)の神でもある。
 「妙案じゃ。雪隠の女神ならば、下水道の水神にうってつけ」
 「神明を祭ることで冥助を得、疫気(えきき)を晴らし、水を清める」世道の顔が、赤らんでいる。「これは、水の地鎮ですな」
 土木を起こす時には、あらかじめ祭壇を築き、土地の神に許しと加護を乞う「地鎮祭」を行う。この長岡京も、当然、造営に当たって地鎮祭を行っている。
 (しかし、水利と水運は、この京の枢要じゃ。土地の地鎮は別個に、水路と川にも神を鎮めておいて間違いない)
 (えやみ)を終息させ、水を清潔にする。
 (かわや)の神、罔象女神(みずはのめのかみ)勧請(かんじょう)(召喚)すべきだろう。
 神、という、神聖な立場からすると、厠、などという卑近でやや尾籠な生活空間への接近はふさわしくないようにも思われる。だが、信仰は生活と地続きであり、自然に信仰心を持っていればいるほど、日常の悩みを神々と共有することになる。生活に密着している事物を司る罔象女神は、むしろ、高位の水神だと言える。
 刷雄は、陰陽頭の高橋御坂に連絡を取り、悪所に罔象女神を勧請する地鎮祭を執り行う旨、奏上するよう要請した。四角祭の霊験が振るわぬ状況下での、この献策を、陰陽頭は喜んで容れる。
 「図書寮の賢人どもよ。よくよくわしらを(かた)なしにしてくれるわい」と、高橋御坂は、書状を読んで、笑ったものだ。そもそも、(えやみ)の終息に図書寮の官人が動いていること自体、高橋御坂からの要請だ。刷雄も世道も、積極的に協力しているし、貢献している。その上、窮地に立たされた陰陽寮に、このような一手まで授けてくれた。拒む事由もなく、藤原刷雄が陰陽寮の面子を立ててくれたことに感謝しながら、上書をしたためる。
 (遣唐使帰りの刷雄、大儒菅原の英才世道。あやつら、仏具や書冊の整理をしているより、この陰陽の道の方が、よほど向いておるぞ)ちらりと、そんなことを考えた。
 その刷雄と世道は、連れだって悪所へ向かう。
 「こたびは、供回りも同行ですな。いや、安心安心」と、自ら太刀を佩いた大男、世道がからから笑う。「ぬしの手柄ぞ。むしろ、こたびは、わしが、(とも)のもの」「おお。大伴の一族に。これは、心強い」「悪鬼魔妖の類いならば、わしが払ってくれる。物盗り追い剥ぎならば、おぬしが太刀にものを言わせよ」「いつも通りですな」
 と、上機嫌に、西二坊大路を下っていく。
 この二人は、五十翁と三十の巨漢という組み合わせだが、馬が合う。刷雄は藤原の英才ながら、政治事件に巻き込まれ、実力を正当に評価されていない。世道も、藤原氏の台頭で相対的に立場が低くなっていく他貴族の出で、技能や実務で身を立てざるを得ない官僚貴族。大儒の菅原家など、その最たるものである。どちらも浮かばれぬもの同士、それがすべてではないが、それがきっかけとなってよしみを重ねている。水の都にあって浮かばれぬもの同士、表に出ることなく陰陽の業に奔走している、というわけだ。
 それでも不思議と腐らないあたり、この二人の性格は通底している。
 「うららかですなあ」のんびりと、世道が言う。奈良の京も、それは、のどかな初夏を迎えていたものだ。ここ山城国乙訓郡は、若葉の碧が奈良より凛冽で、いかにも若人のういういしさが匂っている。まして、四角祭の後だ。邪鬼の侵入を阻んだ空気が、凍っているかのような清澄さを保っている。炎のように。
 潺湲(せんかん)とした水の流れ。
 木材や瓦を載せた船が、行き来している。
 (ふん)と、刷雄は、世道を一瞥する。三十も半ばながら、まだまだ、若者のようなところがある。この男は、仏塔伽藍に飾られた平城京より、この新京の水都の方が、物珍しく、好みに合うのだろう。刷雄は、仏法に(なず)んだ人間だが、それにしても、車馬や人列に替わるかのように、川を廻漕する船、船には、心躍る。桓武帝のご叡慮とご英才を明かし立てるかのごとき光景。
 だと言うのに、どうして、水が淀み、町が乱れ、(えやみ)の沸く、悪所のような地所があるのだろう。
 延暦三年の遷都から、三年――だというのに、長岡京は、早くも、水害と疫病の京として人口に上っている。
 
 翻って、一度、作者の目から、現代人として考えれば、桂川、小畑川、小泉川を市街に引き込んでいる長岡京は、構造上、水害が起こりやすい。大雨が、たちどころに市中の河川を増水させ、下水や水運を担う規模の水路を氾濫させる。大水でなにもかも流され、浸され、天日の下腐朽すれば、それが疫病の原因となろう。
 そして、それ以上に、疫病を招いたのは、下水工事の不備なのではないか。なんと言っても、西暦にして、八世紀の都市である。河川を利用した水洗便所などハイカラそのものだが、それができるだけの土木技術が当時の日本にあったのか、はなはだ疑問である。長岡京では、道路脇の水路を用いて、家々にまで個別に下水用の水を引いていたということだが、今日のような管理体制もなく、衛生的に問題のない設備を造れたのか、どうか。
 早熟な志向、未熟な技術。
 長岡京には、根幹から、そういう(いびつ)さがある。
 
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