ひょうすべの誓い 節八拾七
文字数 304文字
小早川家は秀秋の死後改易され、家中のものたちは、関ヶ原の裏切りのため評判が悪くどこにも仕官できなかった。小早川秀秋の松尾山から駆け下った突撃は、西軍の敗北を決定づけたが、最後まで
駆け下らなかった
吉川広家も、まけずおとらず深刻な敗因だろう。なんといっても、南宮山に配されていた毛利軍は、小早川秀秋に並ぶ、西軍最大の戦力なのだ。――これが動いては、内府との約束に違背する……吉川広家は、毛利秀元の本軍に対して最先鋒に布陣。南宮山を降ろうとする毛利軍をせき止めつづけ、いくども出陣を催促されるも「霧が濃い」あるいは「これから弁当を食う」といった愚にもつかない言い訳をならべつづけ、最後まで山を下りなかった。