習合 節十

文字数 1,751文字

 山東省にある蚩尤の墓に、この悪神の姿が描かれている壁画がある。物語中、兵主神社の石灯籠に彫刻されている「人面獣身」の肖像だ。正直、これを「人面」と見るかどうかは微妙なところだが、牛頭の鼻面を、その奥行きを表現できず、正面から捉えている、また、この蚩尤像は四つ眼を採用していないため、なにやら、耳の大きな人間、狸のような耳の人間に見える。蚩尤は、獣身にして銅頭鉄額、とも、牛頭六臂で四つ眼、加えて人の体と鳥の足を持つとも言われている。さらに、牛頭獣身、角ではなく弓を生やし、両手足に武器を持つ、という形態でも伝わっていて、これが、この壁画のモチーフだと思われる。両足の先から不自然に伸びている、鳥の鉤爪のようなものが、「足が持つ武器」だろう。「牛頭」は、前述の古代的デフォルメで、妙な味はあるものの写実性はない。鼻面がつづまって人面じみたなにかに見える。頭頂から生えているものが「弓」なのだろうが、そもそも、武神という性格を前面に押し出しすぎた無理のある姿(アイコン)で、正直、頭の上に秤を乗せているように見える。さて四肢と胴は、毛むくじゃらで、この点、二足歩行の「獣の体」をよく表現できている。その両足は四足獣の後ろ足のような躍動感に満ち、どこか楽しげなステップを踏んでいるよう。両手は左右に広がって、それぞれの手に、矛か剣を取っている。両足の動きもあって、なにやら、人面獣身のなにかが、棒状のものを手に持って、ひょこひょこ踊っているように見える。まあ、両手足と頭上に武器を持つデザイン上、それを描き込めるように、体を開いたポーズになっているのだろう。
 似ている、と、思ってしまったのだ。
 江戸時代の妖怪絵に現れる、獣身にして酔っ払い親父の頭を乗っけたひょうすべの格好に、だ。ひょうすべは兵主神につながり、その本性は蚩尤である、そんなバックグラウンドの話ではない。とんでもない仮説だが、もしかすると、江戸時代の、このひょうすべ絵のひながたを手がけた絵師は、まさに、この、山東省蚩尤墓の、古代的なデフォルメになる

を、参考にしたのではないだろうか。なぜそんなことを、と、動機を考えると、江戸時代の時点で、ひょうすべという妖怪と、蚩尤を結びつける相関図が、なんらかの形で知られていた、それを意識していた、としか考えられない。「人面獣身」に見える蚩尤像を、江戸時代の絵師が、「これがひょうすべです」と言われて、江戸時代のリアリティで描き起こせば、かなり、ひょうすべ絵に近似したものができあがるのではないだろうか。この場合、頭上の突起物(弓)や、手にした武器(棒状のもの)が、どこへ行ってしまってのか、という疑問が残る。真相は闇の中だろうが、とは言え、頭に浮かんだこの妄想はなかなか魅力的で、ひょうすべという妖怪は河童の一種であり、河童にそぐわぬパーツを削ぎ落とした、とか、いろいろな理屈をもてあそんでいる(そもそも「武神」という性格を省けば、絵としても邪魔っ気な付属物だ)。なお、河童は、頭に皿を乗っけているもの以外にも、猿のような姿のものもいる。ひょうすべのモデルも、テナガザルではないかという説がある。
 以前から不自然に感じている、ポーズの統一感も、蚩尤墓の壁画をモデルにしたのなら、肯ける。壁画から描き起こした妖怪を、自由に描くのではなく、壁画そのものを尊重し、左右の腕を広げ、足踏みするかのような格好に描く、という定型、というのか、様式が、すでにできあがっていたのなら、絵師たちが、ひょっこりひょっこり千鳥足のひょうすべばかり描くのも当然だ。このひょうすべから兵主神、蚩尤、秦氏にまで展開する変遷は、大陸から本邦にまたがる歴史とダイナミズムを感じさせる魅力的なものだが、江戸時代の妖怪絵師たちも、このひょうすべと蚩尤を結ぶラインを承知していて、しかも尊重してくれていたのなら、これはうれしい。山東省まで、わざわざひょうすべの原型をたずねに行く絵師がいたはずもないから、壁画の写しが、なんらかの形で、絵師たちの目に留まったのだろう。ことによると、その写しは絵師自身が見出したのではなく、別の人間がそっと示したものだったのかも知れない。その人間は、きっと、波多(はた)とか、八幡(やわた)とか、そういう姓だったのだろう。
 
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