ひょうすべの誓い 節卅
文字数 325文字
小牧・長久手の戦いを決定づけたのは、秀吉と織田信雄の単独講和だった。単独、というのは、じつにばかげたことで、信雄は伊賀と伊勢半国をゆずられるのを条件に、家康と相談することなく、勝手に講和してしまったのだ。信雄に味方するという名義で戦いに参加した家康は、ハシゴを外されてしまったかっこうだった。
なにやら、春秋戦国時代の合従連衡を思い出す。強大になった秦をほろぼすべく、ほかの六国が同盟し、合従、縦に連合した。
これに対して、秦は、連合を構成する個別の国々と、それぞれ同盟し、この連衡策(衡 に連なる)によって、合従策を分断した。
信雄・家康方の合従策は、秦の秀吉が連衡策で、切り崩した……
こうして、天正十二年末――
空白の十二月 がやってくる。
なにやら、春秋戦国時代の合従連衡を思い出す。強大になった秦をほろぼすべく、ほかの六国が同盟し、合従、縦に連合した。
これに対して、秦は、連合を構成する個別の国々と、それぞれ同盟し、この連衡策(
信雄・家康方の合従策は、秦の秀吉が連衡策で、切り崩した……
こうして、天正十二年末――
空白の