ぬえ鳥の夜 節十
文字数 1,948文字
水害。疫病。
そして、御霊(怨霊)。
これらが、長岡京の宿痾にして災禍だ。この京は、造営当時から、血が流れすぎた。長岡京造営使藤原種継暗殺事件。その背後には、遷都をよしとせぬ、奈良仏教があるという。それに加担した大伴氏がいる。早良親王は、その母が下級貴族で、立太子の望みはなく、早くから出家していた。そのため、仏法巨刹と縁が深く、「新王禅師」の呼び名もあった。奈良仏教に接近しすぎていたのだ。彼は、暗殺事件に関係したとされ、乙訓寺に幽閉される。やがて絶食して憤死。
遷都をお望みになる桓武帝に対し、早良親王は、奈良仏教の代弁者だ。種継の死を皮切りに、ご兄弟が相剋し、弟が敗れた。惨、である。それに連なり、処断されたものは名のあるものだけで十数名。その家族連枝。死屍累々。
その屍と、血の河の果てに、長岡京が築かれている。あまりに闇深き、血祭りであり、人柱。
案の定、祟った。
「予の京 。われらが京」そう言いながら、神輿の上で、ぎらぎら、早良親王が目を光らせる。牛頭馬頭、大小の鬼、その他にも、(ち)処刑された、佐伯氏がいる。大伴氏の歴々も。
刷雄の母は、大伴犬養娘 。彼は、大伴の一族でもある。種継の件は、他人事どころではない。長岡京は、その端緒からして、刷雄を織りなす二つの血筋が、業因が、あざなえる縄の如くからまりあい、相食んでいる。あるいは、だからこそ、刷雄は、この長岡という京が、ほとんど、おのれの陰陽であり、不可分一体のもののように思えて仕方がない。半身。
ひ、ひぃいー。ぬえの声。
「ぬえよ、ぬえよ、なにを、かくも凄涼に啼きおるか」早良親王がつぶやく。はたはた、蝙蝠の翼が、その周囲にちりばめられる。百鬼夜行を包み込む、百匹もの蝙蝠。「おお、人心は藪の中よ。無明の闇よ。そこに、奇々怪々な思慮と策謀が蠢いておるわ。予もかつて、この蠱毒を織りなす毒虫の一匹であった。喰らわれ、敗れて、果てて、それで、誰 かの糧ともなったのかと思えば、はははは、依然、蠱毒の儀は延々とつづけられておる。延暦御代 毒虫の坩堝」早良親王の目許が濡れる。はらはら、落涙する。「死した後も、この業畜の輪廻からは逃れ得ぬのよな。予も依然、毒虫の一匹、いざや、他を喰らわん。人道こそが、業畜生の世上、堕地獄を待つまでもなく、三悪道、ことごとく人間 につぶさに見られるわ」「哀 れ」神祇伯大中臣某 が、つぶやいた。「なれば見よ、うぬの渇仰せしものを、人間 の光、天地 の輝きを」大中臣某が、天を指す。ぬえの暗雲は、すでに散り散りになっていたものの、それが、すう、と、さらに晴れる。
ご開帳 。
星もあれば、月もある。大きな、十六夜の明月だった。大中臣某の通力が月に通じ、月を引き出したのだ。
「おお」百鬼夜行が息を呑む。空に浮いた、欠いた白磁。冴えた光沢の鉱石。「おおお」千曳の巌。幽明の関、道返大神 。
「鏡は浄化。いざや、変若水 を得ん」長岡の条坊、碁盤目の整備。「方諸 を据えん。都城地 にありて、これ陰燧 なり」
方諸、あるいは、陰燧。これは、器だ。四角い容器。
もろこしでは、この聖器に、宝玉を入れ、月下で露を結ばせ、月の水を得る。それこそが、変若水 、若返りの水。
碁盤目の都城には、四角形など無数にある――どこにでも、方諸を勧請(召喚)できる。
明月は明珠。月は玉。本来、玉に月の雫を結ばせるところ、ここでは双方を兼ねる。
宝玉の表面に、夜露が結ぶ……
月夜見 が凝視する。未来視のまなざし 。
時空が組みかえられる。
三日月。上弦。望 に十六夜 。
立ち待ち居待ち、下弦新月。
そして朔 。
咲笑 。
月は、変幻しながら、循環する。再生と永遠。老成しつつ、若返るのだ。
舞手のように。
月からこぼれた甘露。
露 。
命 のひとしずくが、地上の一切に、再生と、劫初の芽吹きをうながす。
初々しくも、産声を上げ、故郷 に産霊 んだ、輝ける瞬間。父母未生 の国。
若返りの水は、究極、おのれの源泉 を、それよりさらにさかのぼった桃源郷を、垣間見せる。
だから、浄化になる。
人の世の汚濁を忘れさせる……
「あああ」早良親王が涕泣する。処断された亡者どもも。人の世の穢らわしさ、それを水垢離せんとする、浄化の涙 。「ああ」鬼火が、狂おしく燃える。蝙蝠どもが、羽ばたき騒ぐ。
そして、薄れていく。
「お見事」刷雄は、呆然としている。神祇伯はかぶりを振る。「荒魂 を鎮めることはできましたが、霽 れの清明には、至りません。早良親王も、あの心地を忘れずにいるのなら、成仏どころか、封神までそれがしが請け負うのですが」
「御霊(怨霊)にぬえ、徐福なる方士」御坂が言う。「努めてもつとめても」水音がする。異臭。糞の影。
汚物を雪がんとしても、これらは、日夜、
そして、御霊(怨霊)。
これらが、長岡京の宿痾にして災禍だ。この京は、造営当時から、血が流れすぎた。長岡京造営使藤原種継暗殺事件。その背後には、遷都をよしとせぬ、奈良仏教があるという。それに加担した大伴氏がいる。早良親王は、その母が下級貴族で、立太子の望みはなく、早くから出家していた。そのため、仏法巨刹と縁が深く、「新王禅師」の呼び名もあった。奈良仏教に接近しすぎていたのだ。彼は、暗殺事件に関係したとされ、乙訓寺に幽閉される。やがて絶食して憤死。
遷都をお望みになる桓武帝に対し、早良親王は、奈良仏教の代弁者だ。種継の死を皮切りに、ご兄弟が相剋し、弟が敗れた。惨、である。それに連なり、処断されたものは名のあるものだけで十数名。その家族連枝。死屍累々。
その屍と、血の河の果てに、長岡京が築かれている。あまりに闇深き、血祭りであり、人柱。
案の定、祟った。
「予の
刷雄の母は、
ひ、ひぃいー。ぬえの声。
「ぬえよ、ぬえよ、なにを、かくも凄涼に啼きおるか」早良親王がつぶやく。はたはた、蝙蝠の翼が、その周囲にちりばめられる。百鬼夜行を包み込む、百匹もの蝙蝠。「おお、人心は藪の中よ。無明の闇よ。そこに、奇々怪々な思慮と策謀が蠢いておるわ。予もかつて、この蠱毒を織りなす毒虫の一匹であった。喰らわれ、敗れて、果てて、それで、
星もあれば、月もある。大きな、十六夜の明月だった。大中臣某の通力が月に通じ、月を引き出したのだ。
「おお」百鬼夜行が息を呑む。空に浮いた、欠いた白磁。冴えた光沢の鉱石。「おおお」千曳の巌。幽明の関、
「鏡は浄化。いざや、
方諸、あるいは、陰燧。これは、器だ。四角い容器。
もろこしでは、この聖器に、宝玉を入れ、月下で露を結ばせ、月の水を得る。それこそが、
碁盤目の都城には、四角形など無数にある――どこにでも、方諸を勧請(召喚)できる。
明月は明珠。月は玉。本来、玉に月の雫を結ばせるところ、ここでは双方を兼ねる。
宝玉の表面に、夜露が結ぶ……
時空が組みかえられる。
三日月。上弦。
立ち待ち居待ち、下弦新月。
そして
月は、変幻しながら、循環する。再生と永遠。老成しつつ、若返るのだ。
舞手のように。
月からこぼれた甘露。
初々しくも、産声を上げ、
若返りの水は、究極、おのれの
だから、浄化になる。
人の世の汚濁を忘れさせる……
「あああ」早良親王が涕泣する。処断された亡者どもも。人の世の穢らわしさ、それを水垢離せんとする、
そして、薄れていく。
「お見事」刷雄は、呆然としている。神祇伯はかぶりを振る。「
「御霊(怨霊)にぬえ、徐福なる方士」御坂が言う。「努めてもつとめても」水音がする。異臭。糞の影。
汚物を雪がんとしても、これらは、日夜、
ひり出されている
。