まつろわぬ民 節百十六

文字数 1,191文字


 男子の一言金鉄のごとし――
 ましてそれが天子のものともなれば――
 それはそのまま、契約(パクト)ともなろう……
 
 弥陀の本願そのかたじけなさ……
 
 ごうしゃな袍などまとわれるはずものう単衣いちまいで……
 単衣を、一重(ひとえ)と表記すれば、その簡素が分かろう――そのような寝姿のまま、玉体を夜気にさらされて……
 そのお方は、しとねからお立ちあそばされた……
 
 まっすぐに、その御顔(おんかんばせ)は、ある方角へむいている。
 
 東――
 
 それは夜明けのはじまる方位……
 (デイブレイク)の端緒……
 
 そのお方のご照覧あそばすところ、あかつきのかがやかしさのみではのう――その赤さにも比す大火が、幾たびもながされることになろう流血の惨が、まざまざと顕現していた――
 戦禍をのがれるわらべのこえも……その母親のなげきも――
 
 そのかたわらでうまれ、そだち、
 
 わらいあうこえも……
 
 それらをやしないそだてるものが、畢竟、くろぐろと肥えた田畑であり――地形を変え、川筋を引き……営々とほどこされた土木の成果――
 
 人と、汗と、労働と、かなしみと、達成感と、満悦と、挑戦と――
 
 鉄のたまものだという現実とお向かい合われあそばされたとき、
 
 そのお方は、判断をくだされる――御聖断をくだされる……
 
 ――そういう判断をくだされる余地しかなくなられていたのだ。
 
 凡骨のもの同様、(ほとぼり)をたたえた(うしお)のひとすじも、おながしになられたやもしれぬ……
 
 生木を()かれるようなものだ……
 
 ご自身を(はじめ)とする一族郎党が、(たぎ)つ壇ノ浦に沈みゆく未来……
 女御が
 武辺の末裔が
 幼帝が……
 
 代償(あたい)ははらう――
 
 だれもがだ。
 
 上下貴賤の別なく――
 いや、王君の身であればこそ……供犠のように、根こそぎに……
 
 それでも、(うべな)われねばならなかったのだ――
 
 時代はすすむ――
 
 歴史は織られる……
 いかに、その(シャトル)の往還が、酷薄であろうとも……
 
 おのれの末裔が絶やされるいたみごと是認することとなろうとも――
 
 そのお方は、聖断をゆるがせにはされなかった――
 
 そのお方は扇を手にされると、東へと向き直られた――
 
 東国(あづま)――
 
 そここそが、約束の地(プロミスド・ランド)……放浪と苦難のはてにいきつくノドの地(イースト・オブ・エデン)……
 
 蝙蝠扇(かわほりあふぎ)をひらかれる――
 
 蝙蝠を化身としてまとわせていた――弟のなれのはてさえ、その脳裏をよぎったやもしれぬ……
 鬼になる……
 
 鬼と人と……
 
 生き死にのバランスだ……
 
 それこそが、歴史を決する境界線(ボーダー)となる――
 
 扇を開くしぐさは、彼我とのあいだに、結界をもうけること……
 
 そのお方の御足許(あしもと)にひらいた深淵は、どこまでもふかぶかと……
 地球(ちだま)の地核までえぐる――
 
 (とよ)もせ――
 
 そこに鎮まる千曳(ちびき)の盤石の、なにほどのことがあろう――
 
 皇祖のその父祖こそが、史上はじめて、そのいわおをゆるがされたのではなかったのか――?
 
 黄泉津平坂(よもつひらさか)……千曳巌(ちびきのいわ)
 
 道返大神(ちがえしのおおかみ)――
 
 
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