ひょうすべの誓い 節五拾二

文字数 1,778文字

 老耄――と、されている。作者もそう言った。
 ただ、なにか、ひっかかる――晩年に授かった後継者鶴松が死亡し、長年豊臣政権を支えた実弟秀長も死去……身内がつぎつぎと欠けていく寂しさから、この愚挙か……あるいは、壮挙を思い立った。そうされている……
 あるいは、貿易政策によって立つ豊臣政権が、明の海禁政策に業を煮やし、自由な貿易を認めさせるべく出兵した……そういう論調もある。
 また、話が、盛大に脇道へそれようとしている……なにぶん、すでに、藤原刷雄や菅原世道が活躍した時代から、八百年が経過した時代のはなしをしている――毒を食らわば皿まで、どうかおつきあいねがいたい。
 唐入りが一般に愚挙とされるのは、もちろん、失敗したからだし、そして、日本というちいさな島国が、大陸の中華を征服するなどという気宇壮大が成立するはずがない、バカなことだ、という一笑に付す空気のあるためだろう――この点、八紘一宇や大東亜共栄圏というスローガンに似ている。
 存外……という気もするのだ。
 まず、秀吉は、鶴松や秀長が死去する以前から、唐入りの計画をちゃくちゃくとすすめている――身内の死というさびしさをまぎらわすため、というのは無理がある。秀吉に、明に打撃を与え、それによって海禁政策をやわらげさせ、貿易路を拡張する、というほどの近代的思想があったかどうかはわからない……この点が、日明の、勘合貿易を認めさせたかった、という説の瑕疵となる。
 ただ、古くは、北欧の海寇(かいこう、海賊)であるヴァイキング――とかく略奪者として語られることのおおい彼らではあるが、故郷では農場主であり、漁業や手工業に従事していて、それが交易商として海にも出る、というのが実態らしい。
 彼らからみゃくみゃくと引き継がれる精神が、唐入りの下地にあるような気がするのだ――
 だいたい、平和にかせげるのなら、貿易はもうかる仕事であり、そちらのほうがいいに決まっている――あるかないかわからぬ財貨を狙って、船なり都市なりを襲撃する、というのは、犯罪としても頭の良い部類ではない――えらく効率がわるく、たとえ、蛮族がおろかしく略奪に手を染めたとしても、すぐにへきえきしてくらがえすることだろう……
 思っている以上に、暴力や犯罪を容認する裏の社会というのは、表の社会と肉迫している――彼らも、正常で合法的なかせぎ……いや、シノギか?……があるのなら、そちらのほうがいいにきまっている。「強」の字のつく犯罪者は、刑務所ですら忌み嫌われるという……強盗、強姦、強奪……
 しかし、広い海を船と船員のみをよるべとしてわたっていく交易商は、同時に、自立し自衛することを……武装することをもとめられる。
 この武装が、ときに、自衛以外の目的で用いられることがある……海賊行為である。その海賊行為も、干上がってしまった貿易商が、積み荷を得るために一か八か――もちろん、勝てそうな相手を入念にえらぶだろう――行うものと、
 正常で平和的な交易をさまたげる要素を実力で排除する――そういうものがある。
 時、キリスト教の拡大期である。宗教はそれ自体が行動の理由にもなるが、それ以上に、社会的な要求と合致すると猛威を振るう……宗教的な対立を背景に、キリスト教徒がヴァイキング(原義は〝フィヨルドの住人〟)商人に不平等な条件を強いた、という記録が残っている。
 それは、怒るであろう――船員が人生を賭けて、船に乗り込み、冷たい海を渡ってきたのだ……
 こうしたキリスト教徒の不当なあつかいといきづまりを打破すべく、ヴァイキングたちが武器を取った――そういう側面があるのもたしかなのだ。
 なにか、似ているような気がする。
 
 倭寇、という連中とである。
 
 日本人海賊である倭寇は、朝鮮や明に深刻な害をもたらし、王朝の寿命さえちぢめたという……ただ、歴史は、体制と王朝が記録するものであり、画一的に「無道な略奪者」と定義する以外にも、右のヴァイキングとも通底する、武装交易商の事情に立脚する解釈が可能なように思われる。
 しかしまあ……とんでもない連中だ。
 倭寇のことを、たんに日本人海賊団程度の集団だと考えていると、どうも、本質をとらえそこねるような気がする。この連中は時代背景を根拠にした大きな潮流として進出した――ある意味で、時代の申し子なのだ。
 
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