まつろわぬ民 節百六拾一

文字数 1,361文字

 八紘一宇(はっこういちう)という、とかく批判されやすい言葉がある。八紘とは、八方への広がり、あめがしたそのものだ――それを、「一つ(いえ)」のようにする、ということで、つまりは天下統一のこと、対外的にかかげれば戦争はさけられないが、対内的には至極あたりまえの発言となる――
 八幡は、それをおしすすめる――しかも、できるだけ軋轢の少ない方向で――機関だと言うこともできる。武力をかかげつつ、そのじつ、異端という裏木戸を開放して、できるだけおもみをかんじさせない、かぜとおしのいい体制をかたちづくる……蕃別の別をもうけないのだ――
 八紘一宇は、もともとは日本書紀の言葉だ。むろん、海内の統一を志向したもので、八幡は、八秦(やわた)は、(あまた)の渡来人は、そのために活躍した――
 いにしえの、かがやかしい協約だ――アマテラスと、八幡神の……
  いにしへ、われは震旦(しんたん、中国)の霊神なりしが、今は日域(日本)の鎮守の大神なり         『八幡宇佐宮御託宣集』
 そういう神なのだ――八幡神は。
 八幡を、秦氏に限定せず、秦氏に代表される蕃別姓の総意とかんがえると、その成立の風景までもが可視的になる――かれらは、神功皇后の三韓征伐を契機として、その息子応神天皇の代に大挙渡来した――秦氏も、漢氏もだ。
 つまり、応神天皇を中心に、渡来したひとびとの輪ができる――かつ、両者は、この時期、おおまかにじつづきのものとしてかんがえられていた……それなら、応神天皇を主とした、君臣として会盟する光景はとうぜんのもので、これを神話化したのが、八幡信仰の祖型だったのではないだろうか?
 応神天皇を主神として、さまざまな渡来人が会盟する……土着の日本人同士のつながりとはまたべつの、海外色のつよい……
 さぶらふものは、あだやおろそかにはいたしませぬ!
 ひょうすべの誓いはなされ、この旧約は、新約までもちこされる……
 
 中央の世界観と地方の現実が乖離し、矛盾が覆いきれなくなったとき、八幡神はおおいにあらぶり、朝廷に楯突く皇祖神となる……異端を排除しないシステムが、異端の蠢動を――既存の権威へのつきあげを容認する……
 新約――それは、大政の簒奪であり、武家の時代の到来だ……
 
 それにもかかわらず、アマテラスとの協約そのものは、保持されている!
 
 ――さぶらふものは、あだやおろそかにはいたしませぬ! と……
 かれらはついに、天皇を奉戴するのをやめなかった――最後まで、玉体に刃をむけ(しい)する無道には手をそめなかった……
 王道を遵奉する……
 えびすとよばれながら……馬頭の鬼たちは、乱臣賊子の鬼子どもは、国家を運営する……
 
 立憲君主制に、おちつかざるをえまい――君臨すれども統治せず……
 
 統治という、失態をなじられ泥をかぶる矢面は、馬頭の鬼がうけおえばいい――獰猛なる周防(すおう)と、(たっと)き中央は、わかたれてあるべきなのだ――玉体に瑕瑾(きず)なぞあろうはずもなく……
 
われらはかれらを鎮護する――おたがいにそうやって、両者がむきあっている……
 
 鏡のように――
 
 その一方の代表を、天皇と称した……その体制に組み込まれながら、むきあう一方の代表を
 
 秦、

 と、そう称したのだ……

 日没する処の末裔を称する一族が、日出ずる処の周防となる……
 この黒い牛は、日の沈んだやみに息づくのだ……

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