習合 節廿九

文字数 1,061文字

 
  〽大伴の 遠つ神祖(かむおや)の 其の名をば 大来目主(おほくめぬし)と 負ひもちて 仕へし(つかさ)
 
 (ほうじゃ、思い出せ)刷雄は、雨の中、水面に落ちていく、おのれの出血を見つめている。(大伴の生き血の、その(ほとぼり)に!)その烈しさは、依然、この老身にも宿っている――そうだ。
 われらは大軍(おおとも)だ!
 
  〽海()かば 水漬(みづ)(かばね) 〈海に()くのなら、そこで水に浸る屍となってもいい〉
 
 「〽山行かば 草むす屍〈山に征くのなら、そこで草茂る屍となってもいい〉」
 
 おのが氏族の血を()えられた、大伴の鬼が吼える。もう、天狗の赤ら顔も、長っ鼻もない。
 主上のそば近くお仕えする身が、なにを沈湎(ちんめん) (酒に酔う)し、鼻高々と増長する。
 われらは身を伏せ、節に伏し、節にたおれるをよしとするもの。
 時節廻らぬことを――轟然と逆巻く風雨風浪のごとき嵐に翻弄されることを、悩みて嘆く……そんな一時は、過ぎた。
 
  〽大君の ()にこそ死なめ かへり見はせじと言立(ことだ)
 
 その声は、天地の唱和。
 天上と地上が、交感する。
 大伴の血を仲立ちとして。
 親王禅師の内宇宙(インナー・スペース)で、蚩尤(しゆう)が吼える。この激越な忠烈に、ときの声(ウォー・クライ)を上げたのだ。
 小泉川、汚濁、大伴の血、魔の思惑、百鬼、天狗、親王禅師、兵主、なにもかもが、この一線で、詠う。
 
  〽大夫(ますらを)の 清きその名を いにしへよ 
   今の(をつつ)に 流さへる (おや)の子どもぞ
 
 「うお」「あああ」
 お、
 お、
 おおおお雄々雄々ー。
 (主上)親王禅師さえ、思ったのだ。ひどく、おさない、ころの気持ちで。
 あにうえ、と……
 
 山車が傾く。習合がひっくり返る。
 親王禅師は、瞑目している。
 
  〽大伴と 佐伯の(うじ)は 人の(おや)の 立つる言立(ことだ)
   人の子は (おや)の名絶たず 大君に まつろふものと 
   言ひ継げる (こと)(つかさ)
 
 天狗どもが騒ぐ。魔縁が崩壊する。主上におそば仕えする――なんで、魔縁であろうや。
 黒風となり、狗賓(ぐひん)どもは逃げる。
 
  〽梓弓(あずさゆみ) 手に取り持ちて (つるぎ)大刀(たち) 腰にとり()き 
   朝守り 夕の守りに 大君の 御門(みかど)のまもり 
   われをおきて 人はあらじと (いや)立て 思ひしまさる
 
 百鬼夜行が潰乱する。鬼火と、蝙蝠の群れとなって、悪所から遠ざかる。
 
  〽大君の 御言の(さき)の 聞けば(たふと)
 
 刷雄は、長歌の掉尾を口にしながら、手を合わせた。印を組んでいたのではない。合掌だ。
 人と鬼、人と死者で、魂だ。最後には、拝むことしかできないではないか。
 拝む対象の中の、輝かしい領域へ向かって、一向(ひたすら)に。
 鬼の後尾が見えなくなっても、まだ、刷雄は手を合わせていた。
 
 
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