まつろわぬ民 節十三
文字数 1,203文字
「罔象女神?」雨に打たれながら、呆然と、目の前の、難破船のごとき――大破してなお、誰かを運ぼうとしている意志を持つ男に、刷雄は言った。
だというのに……
「狂瀾を、既倒に廻らせる……そのつもりかえ?」刷雄は言う。果たして、そんな仕儀に落ち着くものだろうか?
すでに、二転三転どころではない――このめまぐるしい輪廻。今さら、正道に帰したところで、転変止まず、次なる六道を廻るのみなのでは……?
修羅か畜生か、餓鬼か地獄か……
「次善は、とても、そうとは言えぬ始末へ至った」憔悴した、徐福の声。だが、胴に響いているのか、どこか、ふいごのある楽器のように、力強い重低音だ。その双眸は、落ちくぼんだ眼窩の奥で、炯々と光を放つ。
……ただ、正体のわからぬ、
隠から、日の当たる場所へ出ようとして、さらなる暗闇へ沈むはめになった……
「ならば、次善やその次に甘んじるのではなく、最善の一手を打つべきであろう」
「その」刷雄は、言いよどんだ。頬骨のあたりを掻く。「ええのか?」
徐福が具体的になにを考えているのかはわからないが、罔象女神を勧請すれば、それは、兵主神に、さらなる習合を願い奉ることにはならないか? 今でさえ、相次ぐ習合の果て、落魄したありさまになり果てている……火に油――焼け石に水。
蛇に足が生えた、さらに、わけのわからぬ生き物に……
「構わぬ」
と、徐福は言った。
「まさに、狂瀾を既倒に廻らせる、起死回生の一手よ。この一手が、さらなる波乱を呼び、渦と輪廻を招くことになろうとも――」真紅の道服をまとう男が、肩を落とす。徐福――この男も、秦の長老格なのだろう。
ふと、哀しい気持ちに襲われた。徐福、というのは、はるかなる秦の時代に、海を渡った道士の名ではないか。
不老長寿……永遠不滅の方策を求めて、この
永遠を手にするどころか、正体のわからぬものになり果て、消え果てる未来に直面している。
そうして、再度の航海を強いられている……
「秦は、その未来を受け容れる。渦と嵐の陰に没するなにかとなろう」
徐福は、深々と頭を下げる。
「図書頭、どうか」その額から地面へ、雨粒が落ちる。「罔象女神を最初に勧請せんとしたのはおぬしらならば、おぬしらに手がけてもらうのが至極穏当。何卒」
刷雄は言った。「諾」と……
それ以上、そんな姿を見ているのは、忍びなかったのだ。