ぬえ鳥の夜 節四

文字数 757文字

 (う、うぬぬ)刷雄は屋敷にありて、長岡の空を流れ、月を過る、暗雲の群れを見る。群雲(むらくも)が、不自然に集約し、巨大な雲塊を形成している。あなたに、雲を呼ぶ神剣でもあるというのか。
 群雲が密集し、ごろり、と、蠢く。ぱっ、ぱ、と、雷条が、雲の内部を輝かせ、地獄の釜が開くような轟音を発する。雲間から飛び散る火の粉――地獄の明火を蔵している。
 ひ、
 い、
 いぃいぃいー。
 ぬえ鳥の声。一際高く。
 刷雄の霊感は、地獄の火を内蔵する黒雲が、妖魅に変じていくのを知覚する。異形の怪物が、長岡の上空に蓋をする暗雲から化して。ざわめく毛並み、咆吼する歯牙。尻尾がのたうつ、と、牙を引き剥く。
 (う、うおお)
 呆気にとられる異怪(グロテスク)だ。(ましら)の面、四足獣の――(まみ)の胴、それなのに、岩のようにごつごつした魁偉な脚は、虎か。あげくは尻尾で、これは、鱗が生え、先端に頭を持つ、(くちなわ)になっている。
 ((ぬえ)
 京城の空をふさぐばけものは、一瞬で呪詛の本性を顕し、その縞模様を浮かべる虎の脚が、慳貪(けんどん)そのものに、
 図書頭藤原刷雄(ずしょのかみふじわらのよしお)の家屋敷へ伸びていき、巨大な肉球と鉤爪そなえる足裏で、彼をふみつけ(スタンプ)んとする。
 (おう)
 刷雄は、魂消(たまげ)つつも、禅定法で、ぬえの巨躯をない合わせる、もろもろの邪念を探る。(まつりごと)の思惑、権門の謀略、譎詐(けっさ)、疑心暗鬼、はかりごと……人の百鬼夜行。
 (愚かしや)
 「爾時普賢菩薩(じーじーふーげんぼーさつ)以自在神通力(いーじーざいじんつうりき)威徳名聞(いーとーくみょうもん)与大菩薩(よーだいぼーさつ)
 妙法蓮華経普賢菩薩勧発品(みょうほうれんげきょうふげんぼさつかんぼつぴん)
 (人智の浅はかさ。普賢の知恵力をしれ)
 「(おん)、サンマイヤ、サトバン」
 汝、三昧耶(さんまや)なり。
 刷雄の背後で、轟然、雷のような音が上がる。それが鳴き声なのだ。
 普賢菩薩の蓮華座を負う白象が、だす、と、刷雄を(とら)えんとしていた猛虎の足先を、槌の如く踏みしだく。
 ひ、
 ひ、いいいいぃぃぃぃー。
 ぬえの啼き声、その凄涼。
 
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