ぬえ鳥の夜 節八

文字数 903文字

 (なにを)悪夢のようなぬえの尻尾の攻撃を防ぎながら、世道は思う。
 名乗った。名前というのは、呪詛の標的を定かにし、呪いを尖鋭にさせる。
 「おぬしは、定めし、あの赤き道服の方士であろう。当方は名乗ったぞ。さあ、おことも名を名乗れ」言葉合戦(ことばいくさ)。言霊を感じるような与力だ。上手い。
 これで黙りを貫けば、その気後れで、呪詛が鈍る。
 弊屋で、しばしの躊躇。ぬえ鳥の声。
 不分明のままあれと、促すよう。
 だが、声が上がる。「徐福(じょふく)
 「偽名か。まあ、良かろう」徐福は、秦の始皇帝から、不老不死の霊薬を探すよう仰せつかったという伝説の道士だ。彼は大陸から東方へ船を出し、この日本にも来たとか、そこで子孫を残したとか。
 ぬえの尻尾、蛇の頭が、目を光らせた。憎悪が燃えている気がした。ぬえ鳥は、闇に鳴く。かるがゆえ、その怪は、正体不明、藪の中に産霊(むす)ぶ。こなたあなたが、今、正体を明かしてしまったのだ。
 溶暗(フェード・アウト)
 ひ、
 ひぃぃぃいいい、ぃいいいいー。
 ぬえ鳥の声。その怪貌が薄れ、闇に滅する。陋屋の入口から、怪鳥が飛び出す。とらつぐみの名の通り、小さい鳥なのだが、その羽根に虎縞が浮いていて、星明かりにも異様に映った。
 「ち。和睦を言挙(ことあ)げしたようなものではないか」すだれを払いのけ、赤き道服の方士――徐福が現れる。老齢ながら大柄で、まぶたや鼻が、ちょいと垂れている異相。
 「よう、徐福殿」「朝堂の精華よな」まぶたの下からかすかに目の色をのぞかせる。「神祇伯、陰陽頭、図書頭、と来た」「それらを相手取る、おぬしの雇い主は、(たれ)じゃ」「名こそ明かしたものの、そこまで、ぬえ鳥の内実をさらけ出すことはできぬ」「おぬしは、陰陽寮のみならず、神祇官まで呪詛した。われらが、ともに、罔象女神を祀る旨、奏上したことを把握しておる」それならば、式部省や太政官の内部に通じている。結構な権門だ。(このぬえは、大きい)各人各官庁を、まとめて相手取るほどに。「おのれらこそ」徐福が苦笑する。「油断のならぬぬえよ。まさか、図書寮が噛んでいるとは」「いずれの藪に蛇が潜んでいるか分からぬ。不用心につつかぬことじゃ」(まったく)なんという場所なのだ。長岡京は。
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