まつろわぬ民 節百卅四

文字数 1,574文字


 日本の武装は、「耳」というのか、兜の左右を装飾したがる伝統がある――平安期の武官といえば、褐(かち、黒色の一種)の闕腋袍(けってきのほう、わきのぶぶんのない袍)をまとい、太刀を佩き長弓(ロング・ボウ)や矢筒を装備した衣冠姿だ。決定的な特徴として、両耳のうえを扇状の「(おいかけ)」というパーツでおおう。この、派手すぎるモミアゲのような部品に防御効果があるとはおもえない。どうも、北方の騎馬民族の耳当てに由来するもののようだ。中華を手本とし、それなら北狄を蛮夷とするはずの本邦に、なぜこの部品がまぎれこんだのだろう。日本独自の美的感覚で採用したのだろうか?
 この緌の延長線上にあるのが、武者の兜の「吹き返し」だ。五月人形の兜飾りを想像していただきたい――兜を着用した際、顔面の左右に展開する、開け放たれた戸のようになるパーツが吹き返しだ。これは、横からの斬撃をふせぐ効果がある。それにしても思い切ってあけはなったものである――後世、戦国時代の当世具足になると、このぶぶんがちいさくなっていく。やはり、行動する際にじゃまだったのだ――それなのに、採用した。これは、鎌倉時代までの合戦が集団戦ではなく、個々人が打ち合い、組み合う、個人の武勇を発揮する舞台だったことに関係がある――ヤアヤアわれこそは、というエゴのアピールが眼目だったわけだ。吹き返しがないと、兜の表面積はずいぶんちいさくなる。集団の中でおのれを凸出させる効果がうすれてしまう……
 奈良朝の軍隊は、個々人の対決を重視しなかった。陣を組んだ集団戦だ。にもかかわらず、あの「緌」というアピールのつよい「耳」が採用されている。
 ひとつかんがえられる要因は、日本の、水蒸気のおおい気候だ。昭和期にある女流画家が洋行し、帰国すると、沖縄のあたりからさきが巨大なもやにつつまれたかたまりのように見えたらしい。ヨーロッパの乾いた空気は、光線をそのままとおし、ありのままの色彩を照り輝かせる。日本の空気はものをぼやけさせ、あいまいにする。こういう状況では、集団はひとつのかたまりに線を埋没させる……没個性におちいりやすい。
 合戦は生死の一大事。没個性をきらうこころばえがうまれるのはとうぜんのことだ――ヤアヤアわれこそは、(おれ)の武勲だ、おれをみろ、と、戦士たちは叫喚する。肉体を踊らせる。おのれのいのちがけの勲功を記憶してもらいたい……で、あるいじょう、どぎつくおのれをアピールする――一所懸命と、いくさ場のはたらきによって、加増なり、所領安堵なりを得ようとする武士は、「功名餓鬼」と呼ばれるほど苛烈におのれを印象づけようとする――
 大鎧の、あの、吹き返しが展開したかぶとは、水蒸気の立ちこめるもうろうとした視界の中、かえって、化け物のように顔を大きくみせ、エリマキトカゲのように対峙するものを圧倒し、おのれを誇示する威力があった――鬼面人を威す。蛇の頭髪を持つ女怪メデューサ、バビロニアの大悪魔フンババ、あるいは、海外に例をもとめるまでもなく本朝の鬼瓦など、いかめしい顔面で相手を威圧し、魔をはらう、というかんがえがある。これを対人に適用したのが吹き返しだ。あわせて、あの扉を開け放ったようなデザインが、相手に対してひらいた、なにひとつ臆するところはない、というアピールになった。
 奈良朝の軍団は集団戦術を採用している。エゴはすくないはずだが、やはり、武勇は横一線にならべられるものではない。それを上塗りする、ぬきんでたものを表現したくなる――。みずから凸出する勇者はかならずいる。その勇気をほこりたくもなろうもの。現代の戦場ですら、ヘルメットにキルマークをしるすものがいる。こういった心理が、武官の(おいかけ)となった。耳のように顔面を広げるパーツとしてあらわれた――奇怪な顔面によって魔をしりぞけ、勝利を招こうとする意味合いもあった。
 
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