ひょうすべの誓い 節卅九

文字数 1,494文字

 聚楽第、じゅらいだい、という言葉は有名だが、いまいち、その実体がよくわからない――第は邸、屋敷のことで、つまり、朝臣としての秀吉の屋敷のことらしい。
 楽を(あつ)める、聚楽第……なにか、太秦、と、ならべたくなってしまう。「太」を、太陽、太極、太祖のように、そのものの本質そのもの、というふうに用いるのは、ずいぶん、大陸に寄った漢字感覚だ。太秦は、つまり、秦の本拠地……その本質ど真ん中、という字義である。
 聚楽第も、ちょっと、通常の日本語感覚から離れていて、その点、この有名な言葉を聞いても、具体的なイメージに結びつきにくい。聚楽第は、別名、聚楽亭、聚楽城とも言うが、聚楽城が、もっとも実像にそぐうのではないか。本丸、西の丸、南二の丸、北の丸と、曲輪があり、堀をめぐらせている。天守めいたものもある立派な平城で、どうかんがえても、貴族の邸宅ではない。ただ、巨大な池泉があったあたり、かろうじて寝殿造りを反映している。聚楽第図屏風にある姿をみるかぎり、かといって、実用本位の無骨さはない……なにか、秀吉は、この堀と石垣と築地で区切られた敷地に、「仙境」でもつくりたかったのではないか、と、思ってしまう。「長生不老の(うたまい)(あつ)むるものなり」と、その名の由来が記されている……
 なんとはかない。
 ルイス・フロイスの『日本史』では、「彼(秀吉)はこの城を聚楽と名づけた。それは彼らの言葉で悦楽と歓喜の集合を意味している」とある……聚楽、というのは、出典が見当たらず、秀吉の造語らしい。この男の言語感覚は、わるくない。
  露と落ち 露と消えにし わがみかな なにわのことも ゆめのまたゆめ
 仙境の花は、あだ花なのだ……秦氏のはかなさ、お前たちの目指す理想郷は、ここではぜったいに手に入らないのだと。
 不老長生の仙薬をもとめ、秦から出た徐福のように。
 秀吉は、このおとぎのしろ、神仙郷へ、後陽成帝をおまねきし、はなばなしく饗応した。みかどは、このとき、十六歳であらせられた。秀吉は行幸に際して、五五〇〇両余を献納――四月十四日の春爛漫……春宵(しゅんしょう)一刻値千金……まして、この神仙郷の()のしたでは……
 「豊関白
 「ありがとう」
 と、直截なねぎらいの言葉もかけられたやもしれぬ……
 (なんだ)秀吉は、おのれでも理解できぬ、心胆のゆらぎをおぼえただろう――(なんなんのだ――これは)
 ただ、その、慰労の一言で、無邪気な幼童が、親のよろこぶすがたで、なにもかも、むくわれるかのように……
 
 「愚臣藤吉郎
 「果報者にございまする!」そうとしか言えないではないか。
 
 このひとときのために、精励してきた――アマテラスに、全力で応えるため……
 おそれながら、渾身、馳走、つかまつるために……
 ――さぶらふものは、あだやおろそかにはいたしませぬ! と……
 
 われら八幡は、誓ったのではなかったのか……!
 
 この聚楽第行幸の場を借りて、秀吉は、織田信雄や徳川家康といった諸大名に、つぎの旨、誓紙を出させている。
 一、今度の聚楽第行幸についての命令は、誠にもって有り難く感涙を催すこと。
 二、禁裏の御料所の年貢以下、公家やその寺などについて子々孫々、異議のないようにすること。
 三、関白殿の命令はいつ、いかるときもいささかも違反しないこと。
 
 もちろん、秀吉の重視したのは、三番目の項目だろう。
 だが、それにしても、朝廷に対する態度には、ただのおかざりをかざりたてるだけではない、この秀吉が見ているからな、という恫喝を感じてしまう。
 ――おのれらの本分を(わきま)えよ、と……
 中央をいただく周防たれ、と……
 ひょうすべの王は、吼えたのだ。
 
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